バガヴァッド・ギータ – 人生をより豊かにするための指針

ヨガを学ぶ

悠久の時を超え、私たちの魂に深く響き続けるバガヴァッド・ギータ。それは単なる古代インドの叙事詩の一部に留まらず、人生の岐路に立ち、迷い、苦悩する私たち一人ひとりにとって、今なお汲めども尽きぬ智慧の泉であります。この深遠な教えは、物質的な豊かさのみを追い求めがちな現代社会において、真に「人生を豊かにする」とはどういうことなのか、その本質的な意味を静かに、しかし力強く問いかけてきます。

ギータが示す「豊かさ」とは、銀行口座の残高や所有物の多寡によって測られるものではありません。それは、心の奥底から湧き上がる静謐な喜び、揺るぎない平安、そして日々の営みの中に真の意味を見出す智慧に他なりません。本章では、バガヴァッド・ギータが私たちに示す、人生をより深く、より意味のあるものにするための普遍的な指針を、現代を生きる私たちの視点から丁寧に読み解いていきましょう。

 

迷いと葛藤の戦場で、私たちは何を学ぶのか

バガヴァッド・ギータの物語は、クルクシェートラという広大な戦場で幕を開けます。偉大な戦士アルジュナは、敵陣に敬愛する師や親族の姿を認め、戦うことへの深い苦悩と絶望に打ちひしがれます。自らの「ダルマ(義務・本性)」と、血縁者への情愛との間で引き裂かれ、彼は戦意を喪失してしまうのです。

このアルジュナの姿は、決して遠い昔の物語の登場人物のものではありません。私たちもまた、日々の生活の中で、仕事、家庭、人間関係において、数々の選択と葛藤に直面します。何が正しい道なのか、どう行動すべきなのか、時には深い迷路に迷い込み、進むべき方向を見失うこともあるでしょう。ギータは、まずこのアルジュナの苦悩を通して、人間が抱える普遍的な迷いや弱さをありのままに描き出します。そして、そこから逃避するのではなく、正面から向き合うことの重要性を示唆するのです。

この戦場という極限状態において、御者としてアルジュナに付き添うクリシュナ神は、深遠な教えを説き始めます。その対話こそが、バガヴァッド・ギータの核心であり、私たちが人生を豊かにするための指針の宝庫となっています。

 

行為のヨガ(カルマヨガ)- 日常を聖なる実践に変える

ギータが示す最も重要な指針の一つが、「カルマヨガ」すなわち「行為のヨガ」です。これは、行為そのものに専心し、その結果に対する執着を手放す生き方を説くものです。私たちはしばしば、行為の結果、つまり成功や失敗、賞賛や批判に心を奪われ、一喜一憂します。しかしクリシュナは、結果は私たちのコントロールの及ばないものであり、それにとらわれることは苦しみの源であると教えます。

「汝の権利は行為そのものにあり、決してその結果にはない。行為の結果を動機として行動してはならず、また無為に執着してもならない。」(ギータ2章47節)

この教えは、現代社会を生きる私たちにとって、非常に実践的な意味を持ちます。仕事においては、成果や評価を気にしすぎるあまり、本来の目的を見失ったり、過度なストレスを抱えたりすることがあります。家庭生活においても、家族のために何かをしても感謝されないと不満を感じたり、自分の思い通りにならないことに苛立ったりするかもしれません。

カルマヨガは、そのような結果への期待から心を解放し、今この瞬間の行為に全力を尽くすことを奨励します。それは、掃除をする、料理を作る、仕事の書類を作成する、子供の世話をするといった日常のありふれた行為であっても、そこに心を込め、義務として、あるいは奉仕として行うならば、それは全てヨガ(結合)の実践となり得ると説くのです。

この実践を通して、私たちは行為の中に喜びを見出し、結果に振り回されることのない心の安定を得ることができます。そして、あらゆる行為が自己の成長と世界の調和に繋がるという認識は、日々の生活に深い意味と充実感をもたらしてくれるでしょう。それは、単にタスクをこなすのではなく、一つ一つの行動を通して、自己を超えた何かと繋がる経験とも言えるかもしれません。この「繋がり」こそが、人生を本質的に豊かにする要素の一つではないでしょうか。

 

知識のヨガ(ギャーナヨガ)- 真実を見抜く智慧の光

次にギータが示す重要な道は、「ギャーナヨガ」すなわち「知識のヨガ」です。ここでいう知識とは、単なる情報や学問的な知識を指すのではありません。それは、自己の本性、宇宙の真理、そして神性についての深遠な理解、すなわち「智慧」を意味します。

ギータは、私たちの本質は肉体ではなく、不滅の魂(アートマン)であると説きます。肉体は生まれ、成長し、やがて滅びゆきますが、魂は永遠であり、傷つくことも破壊されることもありません。この真理を理解することは、死への恐怖や喪失の悲しみといった、人間が抱える根源的な苦しみから私たちを解放する力を持っています。

「武器もこれを切ることができず、火もこれを焼くことができず、水もこれを濡らすことができず、風もこれを乾かすことができない。」(ギータ2章23節 – 魂の不滅性について)

ギャーナヨガは、瞑想、聖典の研究、賢者からの学び、そして自己探求を通して、この智慧を深めていく道です。物事の表面的な現象に惑わされず、その背後にある本質を見抜く洞察力を養います。現代社会は情報に溢れ、何が真実で何が虚偽なのかを見極めることがますます困難になっています。このような時代において、自己の内なる智慧に目覚め、確固たる判断基準を持つことは、精神的な安定と自由を保つ上で不可欠です。

また、ギャーナヨガは、世界が三つのグナ(サットヴァ:純粋性・調和、ラジャス:活動性・激情、タマス:無知・惰性)と呼ばれる根本的な性質によって構成されていることを教えます。これらのグナの働きを理解し、自身の心と行動においてサットヴァな質を高めていくことは、より調和のとれた、穏やかで明晰な精神状態を育むことに繋がります。

この智慧の探求は、私たちを物質的な欲望や一時的な感情の浮き沈みから解放し、より大きな視点から人生を捉えることを可能にします。それは、まるで嵐の海を航行する船が、灯台の光によって進むべき方向を見出すように、人生の荒波を乗り越えるための確かな指針となるでしょう。

 

信愛のヨガ(バクティヨガ)- 至高なる存在への愛と献身

ギータは、カルマヨガ、ギャーナヨガと並んで、「バクティヨガ」すなわち「信愛のヨガ」の重要性を強調します。これは、至高なる存在(神、宇宙意識、あるいは個々人が信じる超越的な力)に対する愛と献身を通して、神聖なるものと合一する道です。

バクティヨガは、特定の宗教的信条を持つ人々だけのものではありません。それは、私たち自身の内にある愛と献身の能力を開花させ、それを宇宙の根源的な力へと向ける実践です。祈り、詠唱、奉仕活動、あるいは自然の美しさや芸術作品に感動し、感謝の念を抱くことも、広義のバクティヨガと捉えることができます。

「私に葉を、花を、果物を、あるいは水を、愛を込めて捧げるならば、その純粋な心からの捧げものを、私は喜んで受け入れるであろう。」(ギータ9章26節)

この教えは、私たちの行為や思考を、利己的な動機から解放し、より大きな目的へと捧げることを促します。バクティヨガの実践者は、全てのものの中に神性を見出し、あらゆる存在に対して慈悲と奉仕の心を持ちます。この感覚は、孤独感や無力感を和らげ、世界との深いつながりと安心感をもたらします。

現代社会において、私たちはしばしば個人としての能力や達成を過度に重視し、孤立しがちです。しかし、バクティヨガは、私たち一人ひとりが広大な宇宙の一部であり、目に見えない力によって支えられ、愛されているという感覚を育んでくれます。この信頼と感謝の念は、困難な状況に直面したときにも、希望と勇気を与えてくれるでしょう。それは、人生を豊かにする上で欠かせない、温かく、力強いエネルギーの源泉となるのです。

 

ダルマの実践 – 自己の本性に従って生きる

ギータの中心的なテーマの一つに「ダルマ」があります。ダルマとは、個々人に与えられた義務、本性、あるいは宇宙的な秩序や法則を意味する多義的な言葉です。アルジュナが戦場で直面した葛藤も、戦士としてのダルマと、親族への情愛という人間的なダルマとの間で揺れ動いた結果でした。

クリシュナは、それぞれの人間には固有のダルマがあり、それを誠実に実践することが重要であると説きます。他人のダルマを羨んだり、自分のダルマを放棄したりするのではなく、自分自身の本性に従って生きることが、心の調和と社会全体の調和に繋がるのです。

「他人のダルマを巧みに行うよりも、不完全であっても自己のダルマを行う方が優れている。自己のダルマにおいて死ぬことは幸いである。他人のダルマは危険を伴う。」(ギータ3章35節)

これは、現代の私たちにとって、自己の才能や適性を見極め、社会の中で自分らしい役割を果たしていくことの重要性を示唆しています。無理に他人のようになろうとしたり、社会的な期待に応えようと自分を偽ったりするのではなく、自分の内なる声に耳を傾け、自分にしかできない方法で貢献すること。そこにこそ、真の満足感と生きがいが見出されるのではないでしょうか。

ダルマの実践は、時に困難を伴うかもしれません。しかし、それを受け入れ、誠実に取り組むことで、私たちは自己を成長させ、より大きな目的に奉仕することができます。それは、人生に確固たる軸を与え、日々の行動に意味と方向性をもたらす羅針盤のような役割を果たすのです。

 

心の平静と執着からの解放 – 真の自由への道

ギータは一貫して、心の平静を保つこと、そしてあらゆるものへの執着を手放すことの重要性を説きます。喜びと悲しみ、成功と失敗、好きと嫌いといった二元的な対立に心を揺さぶられることなく、それらを等しく受け入れる境地(サマドヴァ)を目指すのです。

「苦楽、利害、勝敗を同じものと見なし、戦いに備えよ。そうすれば汝は罪を負うことはないであろう。」(ギータ2章38節)

これは、感情を押し殺すことや無感動になることを意味するのではありません。むしろ、感情の波を客観的に観察し、それに同一化することなく、心の中心にある静けさを保つ技術を養うことです。瞑想や内省の実践は、この心の平静を育む上で非常に有効です。

執着からの解放は、物質的なものだけでなく、人間関係、地位、名誉、さらには自分自身の考えや信念に対する固執からも自由になることを意味します。あらゆるものは変化し、移ろいゆくという無常の理を理解し、しがみつくことなく手放す勇気を持つこと。そこにこそ、心の軽やかさと真の自由が生まれます。

現代社会は、私たちに多くの欲望を刺激し、絶えず何かを求めさせようとします。しかし、ギータの教えは、真の幸福は外部の条件によって左右されるものではなく、自己の内なる状態にあることを示しています。心の平静と執着からの解放は、私たちを外部の状況に振り回される奴隷の状態から解放し、内発的な力と喜びに満ちた、主体的な人生を歩むことを可能にするのです。

 

結論 – ギータの智慧を日々の糧として

バガヴァッド・ギータが示す人生を豊かにするための指針は、二千年以上もの時を経てもなお、色褪せることなく、私たちの心に深く響きます。それは、クルクシェートラの戦場という極限状態において示された普遍的な真理であり、現代社会の複雑な課題に直面する私たちにとっても、実践的かつ深遠な智慧の宝庫です。

カルマヨガを通して日常の行為に意味を見出し、ギャーナヨガを通して真実を見抜く智慧を養い、バクティヨガを通して宇宙的な愛と繋がる。そして、自己のダルマを誠実に実践し、心の平静と執着からの解放を目指す。これらの指針は、断片的なものではなく、相互に関連し合い、私たちの人生全体をより調和のとれた、意味深く、そして真に豊かなものへと導いてくれるでしょう。

バガヴァッド・ギータを読むことは、単に知識を得ることではありません。それは、自己の内なるクリシュナの声に耳を傾け、人生という戦場で、アルジュナのように迷いながらも、真理の光に向かって一歩一歩進んでいく旅そのものです。この古くて新しい智慧を日々の生活に取り入れ、実践していく中で、私たちはきっと、かつてないほどの内面的な強さと静けさ、そして生きることの深い喜びを見出すことができるに違いありません。それは、物質的なものだけでは決して得られない、魂の豊かさへと続く確かな道となることでしょう。

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。