SUWARUという瞑想会を開いております。
継続して通ってくれている人もいて有難いです。
私も瞑想が好きで学生の頃からやっています。
「瞑想をするとどんないいことがあるのですか?」という質問をもらうことがあります。
これは、なんとも言えない質問なのです。
どんないいことがあるか、と考えること自体が瞑想的ではないからです。
確かに瞑想を体験していくといいことはあると思います。
でも、そこで得られることを瞑想では目的としておりません。
目的思考や達成思考や競争思考などから離れることが瞑想だからです。
だから、そこを目指すと瞑想は起こりません。
何かを目指している時点で瞑想になりませんしね。
瞑想をするとどんないいことがあるのかを思考すると瞑想にならないのですね。
瞑想のポイントは手放すことです。
だから、そういった目的思考も手放すことも瞑想です。
結果として瞑想を継続していると自由になっていきます。
自由です。
瞑想を継続すると自由になっていく
多くの人が自由になりたいと思っていることでしょう。
不自由になりたいと目指している人はいないと思います。
自由になるというのは、束縛から離れられるということです。
束縛から離れる。
人は、いろんなことから束縛されています。
価値観や常識で自分を縛っている人もいるでしょう。
人間関係や仕事で縛っている人もいるでしょう。
罪悪感で縛っている人もいるでしょう。
束縛の大きなものでは「私は〇〇だから」という思い込みの束縛です。
いますよね、こういった言葉を使う人が。
私も使ってしまいますけど、実際のところ〇〇に根拠もありませんからね。
「私は〇〇だから」という束縛は人を進化も変化もさせませんし、束縛させていくので人生が苦しくなります。
束縛をとっていくのが自由
瞑想の時間を持つことそのものが、こういった束縛から解放されることなのです。
瞑想では余計な考えごとや身体の緊張を取り除いていきます。
取り除いていくことで自由になっていきます。
そもそも多くの人は自由を求めていると思います。
人間関係、経済、健康などなど、束縛から自由になりたい。
束縛がないのが自由。
束縛があるのが不自由。
こうしますと、束縛が多いほど自由から遠ざかるということです。
自由を増やすというのは、束縛を減らすということですね。
束縛を減らしていくのが自由。
変わりたいなら減らすこと
変わりたいなら、減らすことです。
束縛を減らすのが自由になり、そのまま変化にもつながります。
減らしていくことが勝手に変わることになります。
増やしていくと自由から遠ざかり、束縛を増やします。
束縛を減らしていくのが瞑想のポイントでした。
束縛を減らそうとして束縛を増やしてしまう行為をしてしまうこともありますのでご注意を。
束縛の大きいものは妄想ですよね。
先ほども書きました「どうせ私は〇〇だから」というものです。
なぜか「どうせ」が追加されましたが。
「どうせ」という言葉も物凄い束縛の鎖ですね。
これは非常に強い鎖です。
その人をどんどん腐らせていきます。
あなたの周りにもいらっしゃると思います。
「どうせ〇〇」と言っている人が。
非常に残念ですし、周りの気持ちも萎えさせます。
「どうせ」という言葉からも離れていくと少し自由になると思います。
どうせ「どうせ」を使うなら「どうせだからやってみる」の方がいいかもしれませんね。
束縛減らしが瞑想のひとつ
こういった束縛を瞑想では手放していきます。
手放すといっても難しいことはありません。
ただ手放すだけです。
ただ手放すだけで自由になります。
そういった時間が瞑想の時間、SUWARUの時間です。
他にもいろんな相乗効果はあるでしょうけど、本質は手放すです。
ただ離れていく、手放していく。
すると束縛から解放される。
束縛から解放されて自由になれる。
自由になれると、いろんなことを自分の意志で選べるようになれます。
真我で生きていけるようになるのだと思います。
瞑想(SUWARU)は単純でシンプルなのでオススメです。
終わりに:前提で人は自分を縛っている
本当にやりたいことというのがあってやれないことがありますよね。
これらには、前提が隠せれています。
自分で自分を縛っている価値観であったり設定ですね。
これが前提です。
どんな前提を持っていますか?
これも束縛です。
無邪気に色々と普段から試すのもいいのではと思います。
無邪気というのは邪気がない状態です。
邪気がある状態が前提がある状態ですね。
あーじゃこーじゃと思考が働く。
これが邪気。
この邪気から遠ざかる時間もSUWARUの時間だったりします。
束縛から離れて、無邪気にやっていきたいですね。