基本であり王道である「ゆるめる瞑想」のコツと方法【ヨガの真髄】
瞑想を推奨しております。
なぜなら、瞑想とは「戦わないこと」の練習だからです。
私たちは日々、何かと戦っています。
時間と、他者と、ノルマと、そして何より自分自身と。
常に気を張り、筋肉を緊張させ、脳をフル回転させて、「今ではないどこか」へ行こうと必死にパドルを漕ぎ続けています。
しかし、その戦いの果てに、本当の安らぎはあるのでしょうか?
もし、パドルを漕ぐ手を止めて、ただ川の流れに身を任せてみたら?
今日お伝えする「ゆるめる瞑想」は、何かを獲得するためのメソッドではありません。
あなたが無意識に握りしめている拳(こぶし)を、そっと開くための時間です。
それは、ヨガの最も基本であり、かつ最終的な到達点(王道)でもあります。
もくじ.
1. なぜ「ゆるめる」ことが難しいのか?
「ただリラックスしてください」と言われて、「はい、できました」と即座に脱力できる人は、現代では稀有な存在です。
なぜなら、私たちの脳と身体は「緊張すること」がデフォルト設定になってしまっているからです。
交感神経というアクセルの踏みっぱなし
現代社会は、常にサバイバルモードです。
通知音、締め切り、満員電車。これらは原始的な脳にとって「猛獣との遭遇」と同じくらいのストレス反応を引き起こします。
交感神経が優位になり、身体はいつでも逃走か闘争(Fight or Flight)ができるように強張り続けています。
この状態が長く続くと、私たちは「ゆるめ方」を忘れてしまいます。
ブレーキペダルが錆びついて動かなくなっているようなものです。
「何もしない」への罪悪感
もう一つの敵は、私たちの心の中に住む「生産性の鬼」です。
「何もしない時間は無駄だ」「休んでいる間に置いていかれる」
この強迫観念が、リラックスすることに罪悪感を持たせます。
瞑想中であっても「うまく瞑想しよう」「雑念を消さねば」と努力してしまうのは、この生産性の鬼の仕業です。
2. 「ゆるめる瞑想」の準備:環境と姿勢
まずは、物理的に「戦わなくていい場所」を作ることです。
聖域(サンクチュアリ)を作る
家の中の一角で構いません。そこは、スマホも、時計も、役割(親であること、会社員であることなど)も持ち込まない場所と決めてください。
照明を少し落とし、もしあればキャンドルを灯してもいいでしょう。
ENGAWA STUDIOでは、古民家の畳や縁側がその役割を果たしてくれますが、ご自宅でも「結界」を張るような気持ちで場を整えます。
重力に委ねる姿勢
基本は座って行いますが、慣れていない方や疲れが溜まっている方は、仰向け(シャヴァーサナ)でも構いません。
大切なのは「骨で座る」こと。
お尻の骨(坐骨)を大地に突き刺すように座り、その上に背骨を積み木のように積み上げます。
筋肉で身体を支えるのではなく、骨格という構造で支える。
そうすると、無駄な筋力が抜け、上半身がふわりと軽くなります。
手は膝の上、あるいは太ももの上に、掌を上に向けて置きます。これは「受け入れる」という身体的な意思表示です。
3. 実践:「スキャン」と「手放し」のプロセス
では、具体的なメソッドに入っていきましょう。
これは「ボディスキャン瞑想」とも呼ばれる手法を、より「ゆるみ」に特化させたものです。
ステップ1:身体の重みを感じる
目を閉じ、まず意識をお尻や背中など、床と接している部分に向けます。
自分の体重が、床に沈み込んでいく感覚。
大地が自分を完全に支えてくれているという信頼感。
「自分で自分を支えなくていいんだ」と身体に教えてあげてください。
ステップ2:緊張の地図をスキャンする
次に、意識を頭のてっぺんから足先へと、ゆっくり移動させていきます。
スキャナーの光を当てるようなイメージです。
どこかに「力み」はありませんか?
眉間: 皺が寄っていませんか?
奥歯: 噛み締めていませんか?
肩: 耳に近づくように上がっていませんか?
お腹: 固くなっていませんか?
特に顔と肩、お腹は緊張の溜まり場です。
ここを意識的にほどいていきます。
ステップ3:吐く息と共に溶かす
緊張している場所を見つけたら、そこに向かって息を吸い込み、吐く息と共に「ほどける」イメージを持ちます。
氷が温かいお湯で溶けていくように。
あるいは、握りしめていた拳の中から、砂がサラサラとこぼれ落ちていくように。
「ゆるめよう」と力むのではなく、「あ、固かったね。もういいよ」と許可を出す感覚です。
ステップ4:微細な感覚(ムズムズ)を味わう
身体がゆるんでくると、手足がポカポカしたり、ピリピリとした電流のような感覚(プラーナの流れ)を感じることがあります。
あるいは、身体の輪郭が曖昧になり、空間と溶け合うような感覚になるかもしれません。
その感覚を、ただ味わいます。
これが「今、ここ」にいるという生の実感です。
4. 思考への対処:「雲」として眺める
瞑想中、必ず思考(雑念)は湧いてきます。
「今日の夕飯どうしよう」「あのメール返したっけ」
ここで「ダメだ、集中しなきゃ!」と自分を叱らないこと。それが緊張を生みます。
思考が湧いたら、「ああ、思考が湧いたな」と気づくだけ。
それは空に浮かぶ雲のようなものです。
雲を掴もうとしたり、追い払おうとしたりせず、ただ流れていくのを縁側から眺めるように見送ります。
「棚上げ」という技術です。
「その件については、瞑想が終わってから考えましょう」と優しく後回しにします。
思考の内容(コンテンツ)に入り込まず、思考という現象(プロセス)として観る。
これが、脳を休ませる秘訣です。
5. ゆるんだ先にあるもの:SIQAN(しかん)の世界
私たちが提唱する「SIQAN(しかん)」とは、ただひたすらに、という意味です。
何かを得ようとせず、何かになろうとせず、ただひたすらに「ゆるむ」こと。
極限までゆるんだ時、私たちは「個」としての硬い殻を破り、より大きな生命の全体性へと還っていきます。
そこには、理由のない安心感があります。
何かを達成したから嬉しいのではなく、ただ存在しているだけで満たされているという「至福(アーナンダ)」の感覚。
それは、私たちが赤ちゃんの頃には持っていたはずの、原初的な感覚です。
6. 日常へのブリッジ:ゆるみを持ち運ぶ
瞑想から覚める時、急にガバッと起き上がらないでください。
ゆっくりと指先を動かし、外界の音を聞き、時間をかけて日常へと戻ってきます。
そして、その「ゆるんだ感覚」の残香を、日常の中に持ち運んでみてください。
仕事中、ふと肩が上がっていることに気づいたら、ストンと落とす。
眉間に皺が寄っていたら、緩める。
この「プチ瞑想」の繰り返しが、人生の質(QOL)を劇的に変えていきます。
常にリラックスしていながら、必要な時には瞬発力を発揮できる。
それは達人の身体使いであり、最も効率的な生き方でもあります。
終わりに
ゆるめることは、諦めることではありません。
むしろ、不要な力みを捨てることで、本来の潜在能力を最大限に発揮するための準備です。
張り詰めた弓の弦を一度緩めるからこそ、次はより遠くまで矢を飛ばせるのです。
まずは一日5分、何もしない時間を持ってみませんか。
世界と戦うのをやめて、世界に身を委ねる時間。
それが、あなたがあなたらしくあるための、最短のルートなのです。
ではまた。


