瞑想というのは起こるに任せるものです。
自分で何かを仕向けてやるものではありません。
私、という私を取り除いていくのです。
取り除いていくことで、瞑想が起こってくるのです。
瞑想で整えたあとに、この現実世界がわかってきます。
起こるに任せることで、現実世界も起こることが起こっていることがわかります。
起こるに任せるように、現実の世界で行動どんどんすることが大事です。
この世界は行動を起こすこと
この世界においては行動を起こさないと何も起こってきません。
起こってくるのですが、あなたが思っているような形で起こることが起こりません。
人は心の安定のために、行動することが必要なようです。
行動することで安定が保たれるようです。
それは自転車が漕ぐことで安定をとっているように。
この世界を味わい尽くすために、私たちは生まれてきています。
体験のための舞台がこの世界なのです。
マーヤというのが幻想という意味で、リーラが踊り楽しむという意味です。
マーヤがこの世界で、リーラをして踊り楽しんでいるのが私たちなのです。
瞑想は起こるに任せることです。
体を整えることも、呼吸が整っていくことも起こるに任せることで、そのように整っていくのです。
瞑想では起こるに任せること
起こることが起こるようになっています。
瞑想ではその体験をしていきます。
ただ座るという体験から、身をゆだねていく練習をしているのです。
ただ座っているだけで至福を感じることもあります。
ただ座っているだけなのに至福になるのです。
面白いですよね。
至福の時には、ソースと繋がっています。
ソースとは世界が成り立っていくための根源的なエネルギーです。
起こるに任せていくとソースと繋がっていくのです。
あなたは日常生活では頑張ったりすると思います。
その頑張りを外して、行動していくと起こることが起こってきます。
この世界は舞台なのです。
触れて、観て、聞いて、と楽しんでいるので、それを味わい尽くす方向に行くとどんどん幸せになります。
起こるに任せていきましょう。
瞑想は起こるに任せる、日常はただやる
何かすることで辛くなってしまう人がいます。
何もしなくてもいいというと安心して何もしない人もいます。
他人に振り回せれている状態です。
自分の内側からくるエネルギーに従うことです。
内側からのエネルギーが感じられると何をして何をしないかが明確になっていきます。
そういった内側からのエネルギーとの対話が瞑想です。
瞑想は何もしないことではありますが、何も起こらないことではありません。
人は進化を求めている
常に進化の中に人はいます。
自由をどんどん得ているのです。
でも、それになかなか気づけません。
気づけませんが、進化しているのです。
成長ではありません。
成長というのはある意味で計測が可能なものです。
進化は計測が不可能なものです。
比べようとしている私が、進化してしまうと比べられる度量衡にはいないということになってしまうからです。
小学生と中学生の授業の中身を比べても意味がないのと一緒です。
もしくは音楽のテスト結果と数学のテスト結果の点数を見比べて意味がないのと一緒です。
芋虫から蝶になっていくのが進化です。
そういった進化を人は求めているのです。
進化していくために瞑想は最高のヒントになっています。
終わりに:何一つ問題はない
究極的には何一つ問題はありません。
悟っても悟ってなくても問題ありません。
実際はみんな悟っているのです。
もともとある真我が発露するだけなのです。
すでにあるのです。
すでにそれなのです。
このまま何一つ問題がなければ寂しいでしょうか。
今のこの世界のゲームこそ、その寂しさを紛らわすためのものなのです。
ですから、精一杯にただ遊んで楽しんで生きていけばいいわけです。
より深く楽しく遊ぶために瞑想も有効です。