今、好きなことに正直になってやっていくと、見えてくることがあると思い始めてみる

自己探求

好きなことはありますか。

好きなことをする生活をしておりますか。

「好きなことをして生活するなんてありえない」という人も多くいることに思いますし、実際問題として物理的に好きなことをしていけない人もいると思います。

それでも、本質的には、人は好きなことをしている人しかいないそうです。

自分にも頭の痛い話でございますが、どんなに自分を苦しめても辛くさせても疲れさせていても自分で好きなことを選択しているそうです。

結局は自分の思いの通りに好きなことをしているのです。

誰しも、自分の心のそこから湧き上がってくる好きなことはあると思います。

本当にやりたいことというのは、自分がやれることとして起こってくると思うのです。

確かに環境やタイミング、物理的に不可能(年齢制限があるとか)というのはあり得る話ではございますが、可能な範囲で(精神的にはそんなの無理と思っても)好きなことができるというのが人のすごいところだと思うのです。

 

本当に好きなことをやっていくことが使命

本当に好きなことはありますか、これさえできれば幸せということはありますか。

本当に好きなことに取り組むというのは、怖いものです。

なぜか、チャレンジすることも難しかったります。

好きなのに出来ないという葛藤が生じるものです。

向き合うのがなかなか難しかったりします。

それは、まさに好きだから。

好きなことはダメだったときに落ち込むのが強くなります。

好きだからこそダメだった時にショックが大きくなるのです。

だから、好きなのにできないという、理由もなく怖いという思いが湧いて行動に移せなくなっていきます。

本当に好きだから、スポーツでも仕事でも才能がなかったら怖いのです。

努力しても一生懸命に時間かけても出来ない自分であるかもしれないと思うと怖いです。

だから怖いという思いと、それでもワクワクする思いが出てきたらかなり良いと思います。

その対象に対して才能があるかもしれませんし、本当に好きである可能性が高いです。

 

本質的には人はやりたいことしかやっていない

本質的には、というのは構造の話です。

一見やりたくないことをやっているとしても、嫌なことと向き合わないためにやりたくないことをやっていたりします。

やりたいくないことを避けるために”自ら”で選択しているということです。

なので皆さんやりたいことをやっているのだと思います。

「やりたくないことをやっている」というやりたいことをやっているわけですね。

そこが腑に落ちるとけっこう面白いと思います。

自分で人生の舵をとっていることがわかりますからね。

全部、自分次第なんだってね。

すべて自分時次第。

すでにやりたいことをやっている、だからあなたは「やりたいことをやって暮らす」ことは達成しているということです。

 

本当に好きでやっているのならスポーツでも芸術でもなんでもいい

スポーツでも好きならやればいいと思います。

芸術的なことでもなんでもいいと思います。

もちろん、お金にならなくていいです。

好きなことを人は段々と忘れていってしまいます。

ねばならないであったり、すべきであったり、観念であったり、とたくさんの外部情報から自分の好きなことに蓋をしてしまっています。

人から評価されることを求めて「こんな自分になりたい」というのは他者に軸を渡してしまっているので、自分の好きなことである可能性は低いです。

極端に言えば、評価されなくてもやりたいかどうか。それでも好きかどうか。

バカにされても好きかどうか。

人目が気にならないレベルで好きかどうか。

それでも好きなら、本当に好きなことだと思います。

好きなことはワクワクしますから、自然と成功していきます。

ワクワクしている人というのは、とてもポジティブでプラスのエネルギーで満たされています。

ワクワクのエネルギーがあれば、大概のことはうまくいきます。

現在は広告や社会的な正しさというものをたくさん求められます。

世間が求めるもの(その世間はあるようで無いのですけど)に踊らされてせっかくの個性もどこかに隠れてしまいます。

現在の日本では、個性を発揮して好きなことを仕事にする土台がかなり作られていると思います。

私も好きなことを正直にやっていこうと思います。

私の好きなことは、BORN TO YOG瞑想、読書、映画、旅行、ブログの更新、が基本です。

こちらのことをし続ける生活を想像するだけでワクワクしてきます。

 

終わりに:壊されないhappyを携える

happyなのが人間の本来の姿です。

苦しくてもhappyを携えることは可能です。

いつでも、どこでも、happyでいることはできます。

悲しみも、ある種のhappyに変換できるのです。

happyの定義の問題もあるかもしれませんが、存在していること、その出来事に出会って成長していくこと、この世界を味わっていくこと、それがハッピーなのだと思います。

”今”を英語でいうと”present”とになります。

”今”という瞬間がまさにあなたへのhappyなプレゼントなのだと思います。