自我という概念を聞いたことがあると思います。瞑想関連の話でもこの自我の話しがちょいちょい出てきます。
自我という”恐れ”とともに人は生きていますよね。(自我は自分を守ることだけに精一杯で、守り切らないといけない恐怖で満たされています)
言い方を変えれば、自我の大きな仕事の一つが恐れを生み出すことだと言ってもいいでしょう。
自我が恐れを生み出していますが、恐れる対象が絶対的に存在するわけではありませんね。
出来事に対しての解釈は人それぞれで、自我も人それぞれですからね。何を恐れるかは人の自由です。
自我についてほんの少しだけ書いてみます。
自我は「いまではない」
自我というのは求めるものです。
いつでも、無いものを求め続けます。
それが自我の特性ですね。”いまここ”で満足するのは自我ではありません。
いまここで満足すると、自我の働きが弱まり消滅してしまうので、自我はそれでは困るということで、すべてを肯定するのではなく否定する形で応戦します。
この否定を365日、ずっと続けるわけです。あれが足りないとか、あれが欲しい、あれがないと困る、と言った思考ですね。
やっかいですよね。だから、普通の方々は疲れてしまったり、いきなりやる気になって暴走したりするのです。
自我さんと折り合いをつけるために、YESと言ってみる
YES法という方法があります。
簡単に言いますと、すべての出来事に「YES」と言うのです。
それだけでいいのですが、これが難しいのです。
すべてのことにYESと言えると、あらやるものとの衝突が消滅して、人は幸せになります。
幸せになりたいですか。それでしたら、すべてにYESと言ってみましょう。
簡単に幸せになれますね。でも、大丈夫です。なかなかできませんから。
自我は「そんなことをすれば世界がおかしくなる」「間違っていることにもYESなんて言えない」「あいつが悪いのになでYESなんだよ」としっかりと頑張りますので。
それでもやってみることに意味があるのです。
頭で考えていることは脇に置く
YES法はたった一日でも難しいかもしれません。半日だけでも、ものすごくストレスを感じる人もいるかもしれませんね。
頭ではわかっていてもできない。嘘でもいいからやってみてと言ってもできない。
「君の言っていることはわかるよ」とか受け入れるだけで肯定はしていない表現でも言えない人も多いでしょう。
それでもYESと言ってみるのです。
ナチスによる強制収容所に収容されて、極限の体験をされて生きて帰ってきたことを綴った世界で900万部以上売れた書籍「夜と霧 」で知られるヴィクトール・エミール・フランクルさんも言っております。
こちらは壮絶すぎますが、たった一日ぐらいYESの日を作ってみるのも面白いと思います。
わたしの尊敬する方々は、この”受入”が自然とできております。自然というのがポイントに思います。
頑張っているうちは、自我が頑張っているということですからね。なので、自然体でお任せしていくということが肝要です。
注意としては、頑張っている人が本当に本人も頑張っているとは限らないです。あなたが、あの人は頑張っているな、と解釈しているに過ぎません。
このYES法であったり「頑張っていること」に対しては、自分のこととして観てもらえるといいかと思います。
最後に:批判や避難をしない日を持つ
批判や非難をしない日を持つというのはかけがえのない一日なるかもしれません。
ちょっと試してみるだけでもいいの、争いの無い日を作ってみませんか。
わたしも頑張ります。ちがう、自然にやります。