ヨガを通じて自分に戻っていくことができると思っています。
自分に戻るというのはなんでしょうか。
純度の高い自分になっていくことです。
では、純度を上げるにはどうするか。
プラスすることでしょうか。
マイナスすることでしょうか。
当然、後者ですね。
マイナスしていくことで自分に戻っていくことができます。
ヨガを通じで引くことをしておりますでしょうか。
気づいた時にはプラスばかりの生活になっていないでしょうか。
ヨガをやっていて知らず知らずのうちにプラスしてしまっている
ヨガをやっていますと、知らず知らずのうちに足していたりします。
現代社会がそのような仕組みなので仕方がないところはあります。
でも、ヨガや瞑想に興味がある人はもう少し引き算していく発想が好きでヨガや瞑想を始めたと思います。
ヨガ業界では「〇〇イベント」「〇〇ワークショップ」「〇〇フェスタ」などなどいろいろとあります。
これはほぼ全て足し算の発想ですね。
本来は、通常のヨガクラスだけでいいはずだからです。(そして、セルフプラクティス)
通常クラスを毎日プラクティスしていき、余計なものを剥ぎ落としていくこと。
これがヨガの鍛錬ですね。
あれもこれもと身につけようと思うとおかしい。
ヨガの学びは必要でしょう。
先生も必要でしょう。
でもエゴを肥大化させる方向でやっていくのも、自分には足りないものがあると思い込むのも何かおかしいですね。
そんなおかしいことを率先している方々もたくさんいらっしゃいます。
プラスしていかないとダメだと思っている人は危ないですよ。
おかしいことを率先する人々
「もっとエゴを拡大しましょう」ということを直接的ではないですけど、そちらの方向でヨガを伝えている人たちもよく見ます。
SNSをやっていれば、山ほど出てきますので皆さんもご存知に思います。
「もっとエゴを拡大しましょう」の言い方はもちろん書いていません。
言い方を変えると「あなたがもっと幸せになりたかったら、もっと〇〇を学ぶといいですよ」という言動ですね。
こういうのを戒めることをヨガ関係ではされていたように思うのですけど、いつの間にか「幸せではないのは〇〇を手に入れていないから。〇〇を手に入れると幸せになれる。」という時代錯誤な教えがSNSや広告に多く見受けられるようになりました。
「物じゃないよね」というちょっと当たり前すぎて寒いと思われてしまうような言説でさえ、今は通じなくなっているみたいです。
どうしてしまったのでしょうか。
ヨガや精神世界は物質主義的過ぎることに嫌気がさした人だけの世界だったのが、たくさんのお金や欲望が動くようなって物質主義的な人が増えてきたのですかね。
どうなのでしょうか。
そろそろ手放していきましょう
純度を上げていくことが大切です。
ヨガには様々な流派があります。
信頼してる流派の源はなんと言っていたのか。
そういったことにあたるのも大切でしょう。
ヨガの根本経典にあたるのもいいでしょう。
たまにはヨガの歴史を見るのもいいでしょう。
どう考えても「〇〇を知らないとヨガではない。だからこれを学びなさい。そのお金は〇〇万円」という言説が多いという状況はなんだか不思議です。
学びは必要ですよ。
ヨーガスートラ自体には「ヨガとは心の作用を止滅させることである」と書かれているように「もっとWSを受けましょう」とか「もっと物を買いましょう」とか「もっとヨガ友達を持ちましょう」とか「もっと集客しましょう」とかどうでもいいし、むしろ離れないといけないことです。
離れないといけないものに近づいてしまっていませんか、と感じることが多くなってきました。
資本主義というのはとても強いものですね。
もっともっとを知らない間に要求しますからね。
もっともっと物でも体験でも出来事でも増やすことが幸せですよ、というのが資本主義ですからね。
しょうがないですが、飲み込まれないように距離を置いておくのが大事に思います。
こちらの本を読むと、現代社会がフィクションでものすごく固められているのもわかります。
ヨガ業界もいつの間にか資本主義に完全に負けてしまっているのかもしれません。
終わりに:SNSの中にヨガはない
「そんなのヨガではない」というようなコメントをSNSで拝見しました。
この人はSNS上にヨガがあると思っていたということです。
それにも衝撃です。
ディズニーランドに行って「これらは偽物だ!」と叫ぶ人がいたら逆に怖いですね。
ディズニーランドは最高の偽物を楽しむ場所なんですからね、それはおかしい。
ディズニーランドにはディズニーランドの遊び方があります。
それと一緒で、SNSにはSNSの遊び方があります。
SNSに本物のヨガがあるわけないじゃないですか。
みんな遊びで写真をアップしています。
みんな遊びで動画をアップしています。
中にはビジネスでやっている人もいます。
そういう世界です。
勘違いしないようにしないといけませんね。
冗談は冗談として流さないと。