第19講:「何者か」にならなくてもいい – ただ「在る」ことの肯定

ヨガ外論・歴史

私たちは、この講座の旅を通じて、消費社会がいかにして私たちに「理想の自己像」を提示し、それに向かって絶えず努力し、変身し続けることを要求するかを見てきました。

もっと美しくならなければ。もっと成功しなければ。もっと生産的で、もっと意識の高い「何者か」にならなければ、あなたには価値がない。

この、声なき圧力は、私たちの自己肯定感を静かに蝕み、「今のままの自分ではダメだ」という、根深い自己否定の感覚を植え付けます。私たちは、インスタグラムのインフルエンサーのように、あるいはビジネス書の成功者のように、常に「なるべき自分(becoming)」を追い求め、ありのままの「今ある自分(being)」を、穏やかに受け入れることができなくなってしまっているのです。

この「becoming(なること)」への強迫観念は、私たちを常に未来へと駆り立て、現在という、唯一のリアルな時間を、未来のための「準備期間」へと貶めてしまいます。私たちは、常に何かが足りないという欠乏感を抱え、その穴を埋めるために、新しい商品、新しいスキル、新しい体験を消費し続けます。しかし、その穴は、外側から何かを付け加えることでは、決して埋まることはありません。なぜなら、その穴そのものが、「今の自分ではダメだ」という、自らが作り出した幻想だからです。

この、現代社会に蔓延する「becoming」の病に対して、ヨーガ哲学は、ラディカルで、そして深く癒しに満ちた処方箋を提示します。それは、「being(在ること)」、すなわち、ただ、今ここに、ありのままに存在するということの、全面的な肯定です。

 

ヨーガの伝統、特にヴェーダーンタ哲学の核心には、「私は、すでに、それである(Tat Tvam Asi)」という、深遠な教えがあります。これは、あなたが探し求めている究極の実在、完全性、充足感は、未来のどこかにあるのではなく、今この瞬間の、あなたの存在の最も深い核に、すでに本来的に備わっている、ということを示しています。あなたは、何かを付け加えたり、何かを達成したりして「完全になる」必要はない。なぜなら、あなたは、その本質において、すでに完全な存在だからです。

この思想は、多くの人にとって、すぐには受け入れがたいかもしれません。私たちは、「努力し、成長し、より良くなること」こそが、人生の目的であると教え込まれてきたからです。しかし、ヨガが教える「成長」は、何か欠けているものを付け加えていく「足し算」のプロセスではありません。むしろ、本来の完全な自己を覆い隠している、不必要な思い込みや、自己否定の層を、一枚一枚剥ぎ取っていく「引き算」のプロセスなのです。

この「ただ在る」ことの感覚を、最も純粋な形で体験させてくれるのが、ヨガの実践の最後に行われる「シャヴァーサナ(Shavasana)」、すなわち「屍のポーズ」です。

シャヴァーサナにおいて、私たちは、文字通り「何もしない」ことを要求されます。アーサナで身体を動かすことも、プラーナーヤーマで呼吸をコントロールすることもしません。ただ、仰向けになり、身体の全ての力を大地に預け、思考や感情が心に浮かんでは消えていくのを、ただ、観察する。

この「何もしない」という行為は、常に何かを「する(doing)」ことに価値を置く私たちの社会においては、最も難しい実践の一つかもしれません。最初は、焦りや退屈、あるいは眠気に襲われるでしょう。しかし、その状態に辛抱強く留まり続けるうちに、ふと、全ての努力が止んだ、深い静寂と安らぎの瞬間が訪れます。

それは、何かを達成したから得られる満足感ではありません。何かになろうとする努力を、完全に手放したときに初めて現れる、無条件のくつろぎです。この瞬間、私たちは、「何者か」でなくても、ただ呼吸し、ただ存在しているだけで、自分は完璧に受け入れられている、という、根源的な安心感を体験するのです。

このシャヴァーサナでの体験は、私たちの日常生活における価値観に、静かな革命をもたらします。

私たちは、常に自分の価値を「doing(何をするか、何を持っているか)」によって測ろうとします。良い仕事をしている私、良い親である私、多くの知識を持っている私。しかし、シャヴァーサナは、私たちの価値が、そのような外的な条件や役割に依存するものではないことを教えてくれます。私たちの最も根源的な価値は、ただ「being(在ること)」そのものに、無条件に宿っているのです。

この気づきは、私たちを「何者かにならなければ」という強迫観念から解放し、ありのままの自分自身を、慈しみの心で受け入れることを可能にします。

うまくいかない自分も、怠けてしまう自分も、他人と比べて落ち込んでしまう自分も。それらは全て、完全な自己の一部として、ただそこに「在る」ことを許されるのです。この自己受容の感覚こそが、消費社会が植え付ける自己否定の呪文を解く、最も強力な鍵となります。

「ただ在る」ことの肯定は、決して努力や成長を否定するものではありません。むしろ、その土台を、より健全なものへと変えるのです。

「足りない自分」を埋めるための、不安に基づいた必死の努力から、「すでに満たされている自分」が、その内なる豊かさを、ただ純粋な喜びとして表現するための、創造的な営みへ。そのとき、仕事も、学びも、人間関係も、もはや自己価値を証明するための苦しい義務ではなく、生命の喜びを分かち合うための、軽やかな遊びへと、その質を変えるでしょう。

消費社会は、あなたに「何者かになれ」と囁き続けます。

しかし、ヨガの智慧は、あなたにこう優しく語りかけます。

「あなたは、もう、そのままで、完全です。何も付け加える必要も、何かを取り除く必要もない。ただ、そのことに気づき、くつろいでいなさい」と。

この声に耳を澄ますとき、私たちは、終わりのない「なること」の競争から降り、ただ「在る」ことの、無限の豊かさの中に、ようやく還ることができるのです。

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。