人生はお試しの連続という言い方があります。
これはものの見方次第だと思っています。
人生がうまくいっている時に、不運な出来事が起こることがあります。
それがお試しだと判断する人もいるでしょう。
調子を乗っていたことによるメッセージだと受け取る人もいるでしょう。
または、「いつもうまくいっていると思うと不運があるんだよね」と言う人もいるでしょう。
そういった意味では、これもまたお試しということです。
どういうことかというと、お試しだと見ればお試しだし、ただの偶然と見れば偶然だし、それとは別で不運の原因を見つければそれが引き起こしたと観ることができるわけです。
お試しをどのように受け取るか
人生がうまく回っている人はお試しをそのままゲームのように楽しめる人だったりします。
逆に、うまくいかない人はそのお試しを嫌がったり苦しんだりネガティブにとらえる人です。
例えば、寝坊したとしましょう。
外に出るまでの時間が15分しかない。
急ぎますよね。
この時に怒ったり怒鳴ったりイライラしたり、そして後悔して自分を責める人もいます。
一方、「15分で全て支度するのか!記録更新するぜ!」とゲームにできる人もいます。
どうでしょうか。
どちらの方が人生は面白く進んでいくように思いますか。
ここでは例えなので、他にも準備できたこと(前日にアラームをセットするとか早くに寝るとか)他の選択があることはスルーしてください。
人生はお試しなところがあります。
会社行けば何か思いもよらないことが起こることもあります。
朝起きたら思いもよらないメッセージが届いているとかもあります。
大事な時に限って携帯を落としてしまうとか、物を無くしてしまうとか、電車の方向を間違えてしまうとか、あります。
そういうものは全部ゲームとして楽しめるかが試されています。
これがお試しゲームだと思えるかどうかの話しです。
ひとまず、人生のバイオリズムでお試しは来てしまう。
なので、受け入れる。
受け入れるということはそれをゲームとして楽しんでしまう。
そういった良い側面を見るゲームのように扱える人は運が良い人でしょう。
物事も好転することでしょう。
お試しの時期は内観する
内観するのもおすすめですよ。
お試しが起こった時に最初にどのように思ったのか。
どんな反応をしてしまったのか。
それが実はお試しに先行して自分の中にあったということです。
お試しが来たときに「やっぱり」と思う人も多いです。
「やっぱり、うまくいかない」とかですね。
これは普段から思っていることです。
だからお試しが起こるのです。
「やっぱり、〇〇」を具現化するのです。
自分の内面が具現化します。
だから、「やっぱり、〇〇」が具現化するのは必然です。
そのお試しが来た時に、内観してそれに気づければいいのです。
そうすれば「やっぱり、〇〇」を普段から思わなくなります。
気づけばそんなことわざわざ思いませんから大丈夫です。
「やっぱり、〇〇」に気づいていないことが問題ですね。
だからお試しが起こっていると捉えてみるとどうでしょうか。
大きなチャンス到来です。
「やっぱり、〇〇」に気付けるからです。
そして、もうそれは起こらなくなるからです。
これでそのタイプのお試しはやってきません。
そもそも、お試しがあるという設定の問題か
そもそもお試しがあると決めたのは誰でしょうか。
そう自分です。
自分が決めています。
「そんなお試しやめた」と宣言すれば起こらなくなります。
それが本質です。
自分でやめた宣言してしまえばいいのです。
「お試しは終了」と宣言してしまいましょう。
宣言しましたか?
もうお試しは終わったのですから、何が起こっても右往左往してはいけませんよ。
右往左往していると「お試しはまだ必要」と宇宙に宣言することになりますからね。
終わりに:深刻さをやめていく
お試しが起こった時に深刻になってしまう人がいます。
結局のところ深刻さが厄介であり、これをやめるだけでいいのです。
悟ったとしても普通に人生は続きます。
人生が続けば法治国家なので法律に従う必要はありますし、資本主義なのでお金も必要です。
それは普通の人と変わりません。
ただ付き合い方に深刻さがありません。
だったら、今から深刻にならないようにしていけばいいのです。
実際にどんなことが起こっても大丈夫じゃないですか。
なんとかなるともいえるし、どうせ良い方向に流れるようにできています。
あなたがそう思ってそのように行動すればそのようになる。
それが法則です。
だから、大丈夫なので大丈夫です。
深刻になれば、もっと深刻を味わう出来事が起こるだけです。
ではでは。