人の手になるものはすべて陳腐化する。
BORN TO YOG クラスに参加して頂きましてありがとうございます。いつもの妙善寺@六本木での開催でした。
初めての参加者も増えてきており喜ばしいことでございます。
BORN TO YOG クラスを始めて受けた方は戸惑うことも多いと思います。
分からないことも多くて大変な場合もあります。
分からないと何をやっていいのかわからない、コミュニケーションができていないのではないか、と疑問に思うかもしれません。
ですが、それでいいのです。それでいいという話をしていきますね。
分からないことを前提にしてみる
分からないというのはコミュニケーション不全ではありません。
分からないということがコミュニケーションそのものです。
分からないということから、全てはスタートです。
分からないから知りたいのですよね。
だから質問もするし、体験も生まれて、コミュニケーションが生まれていきます。
コミュニケーションがとれて、会話が弾んでいるときは、「分かった」があると同時にもっと分からないが増殖しております。
コミュニケーションとはそういう類のものなのです。面白いですよね。
理解もしなくていい
理解って終わりなのです。
「私はヨガを理解しました。」と言っている人がいたら、寂しいですよね。そんな人いたら面白いですけど。
「私は禅を理解しました」と言っている人がいたら、本物の禅師さんか、痛い人かのどちらかです。
ヨガは理解できるようなものではありませんよね。
だから続くんです。一緒に分からない森を歩んで行きましょう。
「もう、わかったよ」とか「だから、その話は、もう聞いたってば」というのは、「私はあなたの言いたいことをたいへんよく理解しました。ピース」というような友好的なメッセージではありません。
どちらかというと「わかったから、黙れ」というコミュニケーションの打ち切りを意図する信号ですね。
私たちが会話においていちばんうれしく感じるのは、「もっと話を聞かせて。あなたのことが知りたいから」という促しです。
でも、これって要するに、「あなたが何を言っているのか、まだよくわからない」ということでしょう?
恋愛が「あなたのことを知りたい」から始まるのに対して、恋愛の終わりが「あなたのことは分かったわ」で終わるのは面白いですよね。
学びのコミュニケーションも同じような構造があるかもしれません。
身体の体験を言語にしてみる
身体で起こっている体験を言葉にしてみましょう。
実は、言語化して身体に落とし込むしかないんです。
人に話したり、自分で書いてみたりして自分の言語で眺めるのです。それを繰り返していく。
頭で理解できないことを、体を通して学び、それをなんとか気付けるレベルまで言語化していき言葉に出す。またそのフィードバックから、自らの体験を深めていく。
体験と言語化の繰り返しです。
この習得への情熱 を燃やし続けるしかありません。
このような改善と修練の小さな円を回す、ということです。
(小さな円を回す、は以下の書籍をご参考にお願いします)
<参考オススメ書籍:2015年ベストと言っても過言ではない書籍です>
インスピレーションを得るための公式や型紙は存在しない。だけど、それを得る自分なりの方法を発見するために辿るべきプロセスならある。
終わりに:何かある、ということから始める
コミュニケーションは「そこには何か理解できないものがある」というワクワク感が大事です。
ヨガのクラスにおいても「わからない」ということは多々起きます。
もちろん、日常生活でも起こりますね。
仕事などでは説明が悪いとか、資料が悪い、話し方が的を射ていない、などなど色んな原因を挙げられますが、そもそもヨガや瞑想や禅は理解できない何かへと向っているので「ちゃんと説明しろ」と言われても難しいのです。
なので「心にほとばしる何か」を頼りに歩んでいくしかありません。
あなたは「心にほとばしる何か」はありますか。ワクワクする対象はありますか。
ワクワクという羅針盤が最も制度の良い羅針盤です。
それでも、気ままに、楽に歩んでいきましょう。