「新しい自分になる」というのはなんとも素敵な言葉です。
こんな言葉を私も使ったりします。
今でも使うことはあります。
では、その新しい自分というのはどんな自分でしょうか。
多くの人の場合、新しい自分になるというのは「素晴らしい自分になる」というのをイメージしていませんか。
もしくは成長した自分。
自分を変える=素晴らしい自分(成長した自分)になる
みたいな感じです。
どうですか。
素晴らしい自分というのが見当違いのことが多々あるのですよね。
ほんと多々あるのです。
別のものを求めてしまう
人は新しい自分になるという時、トマトが最高のトマトになっているイメージをします。
要するに今の延長線で最高の成長をした状態ですね。
でも、それは実際のところ完全に無い物ねだりです。(大人になっていたら、ご存知だと思います)
絶対にないのかというと、実際のところ、そのぐらいに成長することはあるでしょう。
でも、それはかなり過酷であり、難易度は高いです。
ですが、変容することはあります。
成長ではなく変容。
その変容は「新しい自分になる」なんてキラキラしたものではありません。
変容というのは陰陽の統合です。
自分の中の”めっっちゃ嫌なところ”と最高の自分が溶け合うような感じです。
すごいことなのです。
新しい自分になるというのは成長した自分ではありません。
この変容なのです。
努力の先にあるものでもないということです。
気軽に「新しい自分になる」ということを言ってもいいですが、変な妄想(安易な想像)に取り憑かれると「明日から本気で勉強する」と毎日言っては翌日も同じことを言っているダメな受験生みたいになってしまいます。
(私が受験生だった時、こういう人が周りに何人かいました。懐かしい。)
成長を求める時期は大切
成長を求める時期はそれはそれで大事です。
成長を求めることで自らの能力を磨く時期は大事です。
そういう時期があるから自分の強みを活かせたり、弱みを克服できたりします。
そういう時期もあったでいいので。
成長していくという新しい自分にならなくていいのですよ。
いきなりあれですけど。
成長した自分にならなくていいのです。(成長は成長で楽しいですけどね)
素晴らしい自分でなくてもいい。
普通のトマトのままでいいということです。
他の野菜であることも悔やまなくていい。
ナスでなくてもいいのです。
こうやってトマトとナスで書くと笑えますね。
笑えると楽になると思います。
自分を変えるっていうのは素晴らしい自分になるとか、失敗しない自分にんなるということを想像しますが、実際はそうではないのですね。
自分を変えるというのは統合することです。
それはただ自分を知り、自分の中にある様々な葛藤や矛盾を統合していくことです。
それが本当に素晴らしい自分ってこと。
新しい自分になるってこと。
ごちゃごちゃの中で生きていく
新しい自分というのはごちゃごちゃの精神状態の中で生き抜いていくことで見えたりします。
ごちゃごちゃというのは、矛盾することを抱えていたり、葛藤をし続けて悶々としていたり、本音がわからくなくて悩み続けていたり、そんなことを安易に解決することなく過ごしていくことです。
そうやっていくと徐々に統合された自分が現れてきます。
それが、新しい自分です。
ですので、新しい自分だろうが、今のままの自分だろうが素晴らしい自分には変わりません。
かけがえのない素晴らしい自分です。
すでに自分は素晴らしいということに気づくこともまた、新しい自分になることなのかもしれません。
失敗したり笑われたりする自分を変えることではなく、すでに素晴らしい自分がここにいるということに気づくことです。
ごちゃごちゃの世界の中、ごちゃごちゃの精神状態を抱えながら大きな矛盾と葛藤を携えて、それが統合される日を待とうではありませんか。
終わりに:傷つこともあるだろうが
自分を変えていこうと思えば傷つくこともあるでしょう。
それだけ行動も増えれば衝突することもあるでしょう。
それでも、それでいいのだと思います。
何も気にせずにやれたらそりゃいいですけど、多くの人は気になるものです。
その中でも自分が本当に大切なことをして生きていくのか。
それともそれはやめるのか。
謙虚なフリはできるでしょうが、謙虚にはなれない。
頑張ったフリはできても、本音でやっていかないと本当に頑張ることもできない。
やっぱり自分を信じてやっていくしかないんだなと思います。
わたしも自分を信じて歩んでいきます。
みなさんも自分を信じて歩んでいってみてください。
またクラスでもご報告ください。