クローゼットを開けると、袖を通していない服が窮屈そうに並んでいます。
本棚には、「いつか読むつもり」の積読タワーがそびえ立っています。
キッチンの引き出しには、便利なはずなのに使い方が複雑すぎて眠っている調理器具たち。
ふと我に返り、呆然とすることはありませんか?
「なんで私、こんなに買ってしまったんだろう?」と。
今日は、この「買いすぎてしまう問題」について、少し掘り下げてみたいと思います。
単なる節約術や断捨離テクニックの話ではありません。
私たちがモノを増やし続けてしまう心の奥底にある「渇き」と、ヨガが教える本質的な解決策についてのお話です。
現代社会という「不足」の工場
まず、自分を責めるのはやめましょう。
あなたが悪いのではありません。
私たちが生きている現代の資本主義社会そのものが、「あなたは足りていない」というメッセージを24時間365日発信し続ける巨大なシステムだからです。
テレビをつければ「この美容液を使わないと、あなたの肌は衰える」と脅されます。
SNSを開けば「この最新ガジェットを持っていれば、あなたの生活はスマートになる」と囁かれます。
「今のままのあなたでは不完全だ」
「これを買えば、あなたは理想の自分になれる」
私たちは、商品を買っているようでいて、実は「安心」や「変身願望」、あるいは「所属感」を買わされているのです。
モノを買う瞬間の高揚感。ドーパミンが出るあの感じ。
それは、一瞬だけ「私は完全になった」という錯覚を与えてくれます。
しかし、それはあくまで錯覚です。
魔法はすぐに解け、数日後にはまた別の「足りなさ」が顔を出し、次の「欲しい」を探し始めます。
これは終わりのないマラソンのようなものです。
ヨガが教える「穴」の正体
ヨガの視点から見ると、私たちがモノで埋めようとしているのは、心に空いた「穴」です。
この穴の正体は、「分離感(アヴィディヤー:無知)」です。
本来、私たちの魂(プルシャ)は、それ自体で完全に満たされています。
何も足す必要はなく、何も引く必要のない、至福(アーナンダ)そのものです。
しかし、私たちはそのことをすっかり忘れてしまっています。
自分を「世界から切り離された、ちっぽけで孤独な存在」だと思い込んでいるのです。
この分離感からくる根源的な寂しさや不安を、私たちは外側の物質で埋めようとします。
物理的に空間を埋めることで、精神的な空虚感を埋めようとするのです。
しかし、物質的なモノと、精神的な穴では、パズルのピースが合いません。
どれだけ詰め込んでも、カチッとはまる感覚が得られないのはそのためです。
四角い穴に、丸い石を詰め込んでいるようなものですから、隙間風はずっと吹き続けます。
アパリグラハ(不貪)という処方箋
ヨガの八支則にある「アパリグラハ(不貪・不所有)」は、この病への処方箋です。
これは「欲しがるな」という禁止命令ではありません。
「必要以上のものを抱え込むことは、あなたのエネルギーを奪いますよ」という、優しい忠告です。
モノには質量があります。
そして、すべてのモノには「念」のようなエネルギーが付着しています。
たくさんのモノに囲まれているとき、私たちは無意識のうちに、それら一つひとつに微量のエネルギーを吸い取られています。
「片付けなきゃ」「使わなきゃ」「元を取らなきゃ」。
そんな思考のノイズが、あなたの静寂を邪魔しているのです。
本当に必要なものだけが手元にあるとき、私たちのエネルギーは漏電することなく、自分自身の内側へと循環し始めます。
「なんでこんなに買ってしまったのか」と後悔するエネルギーさえも、アパリグラハの実践によって、「手放す」という前向きなアクションへと変換できるのです。
内なる充足(サントーシャ)へ
では、どうすればこの買い物ループから抜け出せるのでしょうか。
それは、外側に向けていた手を、内側に向けることです。
「サントーシャ(知足)」の実践です。
「足るを知る」とは、我慢することではありません。
「すでにここにある豊かさ」に気づくことです。
今朝、目が覚めたこと。
肺いっぱいに空気が入ってくること。
お茶が美味しいと感じる味覚があること。
大切な人が笑ってくれたこと。
これらはすべて、お金では買えない、しかし確実に存在する「豊かさ」です。
瞑想をして、ただ静かに座っているとき、私たちは何も所有していなくても、深い安心感に包まれることがあります。
その時、私たちは思い出しているのです。
「ああ、私は最初から何も欠けていなかったんだ」と。
自分が満月のように欠けることのない存在だと知っていれば、懐中電灯を買い集める必要はありません。
終わりに:買い物カゴに入れる前に
もし次に、衝動的に何かをポチりそうになったら、一度深呼吸をしてみてください。
そして、自分自身にこう問いかけてみてください。
「これは、私の生活に必要な道具だろうか? それとも、心の穴を埋めるための絆創膏だろうか?」
もし絆創膏だと気づいたら、そっとブラウザを閉じて、代わりに一杯のお白湯を飲んでみましょう。
あるいは、少しだけ瞑想をしてみましょう。
モノで埋めるのではなく、呼吸と静寂で心を満たすのです。
空間の余白は、心の余白です。
モノを手放した分だけ、そこには新しい風が吹き込み、本当に大切なご縁やインスピレーションが入ってくるようになります。
「なんで」と自分を責めるのはもう終わりにして、今日から少しずつ、身軽な本来の自分へと還っていきましょう。
ではまた。


