第12講:「もっと欲しい」を手放す勇気 – アパリグラハ(不貪)の智慧

ヨガを学ぶ

前講で探求した「サントーシャ(知足)」が、「すでにあるものに満足を見出す」という、いわば心の“受け入れ”の側面を教える智慧であるとすれば、今回探求する「アパリグラハ(Aparigraha)」は、そのコインの裏側、すなわち「不必要なものを手放していく」という、心の“排出”の側面を教える智慧です。この二つは、車の両輪のように連携し、私たちを消費社会の重力から解放し、軽やかな精神状態へと導いてくれます。

アパリグラハは、サントーシャと同じく『ヨーガ・スートラ』の八支則の中に登場しますが、位置づけが異なります。サントーシャが第二段階の「ニヤマ(勧戒)」、つまり内面的な実践であったのに対し、アパリグラハは第一段階の「ヤマ(Yama/禁戒)」、つまり他者や社会との関わりにおいて慎むべき五つの行動規範の最後に挙げられています。これは非常に示唆的です。つまり、「貪らないこと」は、単なる個人的な心の持ち方の問題ではなく、他者や世界全体との調和を保つための、根源的な倫理的態度である、とヨーガの聖賢たちは考えたのです。

「アパリグラハ」という言葉は、しばしば「不所有」や「無欲」と訳されますが、その本質はもう少し広く、深いものです。それは単にモノを所有しない、ということだけを意味するのではありません。より核心的には、「必要以上に求めない、貪らない、溜め込まない、執着しない」という心の在り方そのものを指します。その対象は、物理的なモノだけでなく、地位、名声、富、人間関係、さらには特定の考え方や「かくあるべき自分」というアイデンティティへの執着まで、あらゆるものを含みます。

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なぜ、私たちはこれほどまでに「もっと欲しい」と願い、手に入れたものを手放せずに溜め込んでしまうのでしょうか。その根底には、多くの場合、「不安」や「恐れ」が存在します。将来お金がなくなったらどうしよう、という不安が過剰な貯蓄や投資に駆り立てる。人から見捨てられたらどうしよう、という恐れが不健康な人間関係にしがみつかせる。自分が何者でもないと感じる空虚感が、ブランド品や肩書きで自分を武装させる。私たちは、未来の不確実性や、自己の不安定さを埋め合わせるために、モノや情報を際限なく溜め込もうとするのです。

しかし、ここに一つのパラドックスがあります。所有は、私たちに安心感を与えるどころか、しばしば新たな不安と負担を生み出すのです。

たくさんの服を持てば、毎朝何を着るかという選択にエネルギーを消耗します。高価な車を買えば、傷つけられないか、盗まれないかという心配がつきまといます。多くの知識を詰め込んでも、それを忘れてしまうことへの恐れが生まれる。モノは、それを所有する人間を、逆に支配し始めるのです。私たちはモノの主人であるつもりが、いつの間にか、その維持管理に時間とエネルギーを奪われる、モノの奴隷と化してしまいます。

この構造を見抜くとき、アパリグラハの智慧は、私たちに解放への道を示してくれます。それは、溜め込むことで安心を得ようとする生き方から、手放すことで自由を得る生き方への、根本的なシフトです。

この古代の智慧の、最も現代的な実践例が「ミニマリズム」というライフスタイルでしょう。ミニマリストたちは、自分にとって本当に必要なもの、本当に心を満たしてくれるものだけを厳選し、それ以外を潔く手放します。その結果、彼らが手に入れるのは、物理的な空間の広がりだけではありません。掃除や管理にかかる時間が減り、自由な時間が増える。選択肢が減ることで、意思決定の疲れから解放される。そして何よりも、モノに振り回されることなく、「自分にとって本当に大切なものは何か」という本質的な問いと向き合う、精神的なスペースが生まれるのです。

アパリグラハの実践は、この物理的な「片付け」から始めるのが、最も分かりやすい入り口です。クローゼットを開けて、一年以上着ていない服に手を触れてみてください。その服は、あなたを本当に幸せにしているでしょうか。それとも、「いつか着るかもしれない」「高かったからもったいない」という過去への執着や未来への不安の象徴として、ただスペースを占拠しているだけでしょうか。一枚の服を手放すという小さな行為は、単なる整理整頓ではありません。それは、自らの執着心と向き合い、それを乗り越えるための、具体的な精神的トレーニングなのです。

この「手放す」トレーニングは、物理的なモノから、次第に非物質的な領域へと広がっていきます。

例えば、「デジタル・アパリグラハ」。私たちは、スマートフォンの中に、もはや使わない無数のアプリ、読むことのないブックマーク、見返すことのない写真を溜め込んでいます。これらは、私たちの脳の認知資源を静かに、しかし確実に消耗させています。定期的にデジタルデータを整理し、SNSのフォローを厳選し、通知をオフにすることは、心の静けさを取り戻すための、現代における必須のアパリグラハ実践と言えるでしょう。

さらに深めていくと、私たちは自らの「思考」や「感情」さえも、手放す対象として捉えることができるようになります。過去の失敗への後悔、他人への恨み、自分を責める声。私たちは、これらのネガティブな思考を、まるで大切な所有物のように、何度も心の中で反芻し、執着してしまいます。ヨガや瞑想の実践は、これらの思考が自分自身と同一のものではないこと、それらはただ心に浮かんでは消えていく雲のようなものである、という気づきを与えてくれます。その気づきこそが、思考への執着を手放し、心の自由を取り戻す第一歩です。

東洋思想には「空(くう)」という概念があります。それは、何もない虚無ではなく、あらゆる可能性を秘めた、創造的なスペースを意味します。手をぎゅっと握りしめている限り、新しいものを掴むことはできません。両手を広げ、今持っているものを手放して初めて、私たちは新しいものを受け取るためのスペースを手にすることができるのです。

アパリグラハとは、この創造的な「空」を、自らの人生の中に意図的に作り出していく、勇気ある実践です。それは、失うことへの恐れを乗り越え、手放した先にある、より大きな豊かさと自由を信頼する、深い叡智に他なりません。

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。