雨音を聞いていると、ふと時間が止まったような感覚になることがあります。
私たちは普段、あまりにも多くの情報と、終わりのない思考のループの中で生きています。
「何かをしなければならない」「もっと良くならなければならない」
そうした焦りから、少しだけ距離を置く時間。それが瞑想です。
瞑想を始めたいけれど、何から手をつけていいかわからない。
無になろうとすればするほど、雑念が湧いてきてしまう。
そんな声(お便り)をよくいただきます。
瞑想とは、決して難しい修行ではありません。
それは「何かを得る」ための努力ではなく、余計なものを「手放す」ための作法です。
今日は、古くから伝わる智慧をベースに、現代の私たちが日常に取り入れやすい「3つの基本的な瞑想」の入り口をご紹介します。
どれが正解というわけではありません。
ご自身の心と身体が「ああ、心地よいな」と感じるものを選んでみてください。
もくじ.
呼吸の瞑想(数息観)—— 思考の嵐に錨(いかり)を下ろす
最も古く、そして最も基本となるのが、呼吸に意識を向ける瞑想です。
禅の世界では「数息観(すそくかん)」とも呼ばれます。
私たちの心は、放っておくと暴れ馬のように過去や未来へと走り回ります。
その心を「今、ここ」につなぎ止めるための錨(アンカー)が、呼吸です。
【始め方】
1. 座る: 椅子でも、あぐらでも構いません。背筋をすっと伸ばし、身体の余計な力(特に肩や奥歯の力)を抜きます。
2. 観る: 自然な呼吸を繰り返します。コントロールしようとせず、ただ入ってくる息、出ていく息を観察します。
3. 数える: 呼吸に意識を向けるのが難しければ、数を数えます。
ひとーつ(吐く)、ふたーつ(吐く)……と、吐く息に合わせて1から10まで数えます。
10までいったら、また1に戻ります。
【ポイント】
途中で雑念が湧いて、数がわからなくなっても、自分を責めないでください。
「あ、考え事をしていたな」と気づき、また優しく1から戻ればいいのです。
その「気づいて、戻る」という繰り返しこそが、脳の筋トレ(瞑想)そのものです。
寄せては返す波のように、ただ呼吸のリズムに身を委ねてみましょう。
感覚の瞑想(ボディスキャン)—— 身体という大地に還る
頭(思考)ばかりを使っている現代人は、身体の感覚が鈍くなりがちです。
身体は常に「今」にありますが、思考は「過去・未来」にあります。
意識を身体に向けることは、強制的に「今」に戻ってくる強力な方法です。
ヨガニドラー(眠りのヨガ)の技法としても知られています。
【始め方】
1. 脱力する: 仰向けになるか、楽な姿勢で座ります。目を閉じます。
2. 巡らせる: 足の指先から、足首、ふくらはぎ、膝……と、スポットライトを当てるように、意識を身体の下から上へと移動させていきます。
3. 緩める: 意識を向けた場所の力が、フワーッと抜けていくのをイメージします。
氷が温かい水に溶けていくように、緊張を解いていきます。
お腹、胸、肩、喉、そして眉間や目の奥の緊張まで丁寧に解いていきます。
【ポイント】
痛みや違和感がある場所があれば、そこを治そうとするのではなく、「あ、ここに緊張があるな」とただ認めてあげてください。
身体は、あなたの魂が宿る神殿です。
その神殿を内側から掃除していくような、慈しみの気持ちで行います。
終わる頃には、身体の輪郭が薄れ、空間と溶け合うような感覚になるかもしれません。
音の瞑想(ナーダ・ヨガ)—— 世界をあるがままに聴く
「無音」になろうとする必要はありません。
むしろ、周囲の音を瞑想の対象にしてしまう方法です。
古来、音(振動)に集中することは、思考を手放す有効な手段とされてきました。
【始め方】
1. ただ聴く: 静かに座り、耳を澄ませます。
2. 判断しない: 「車の音だ(うるさいな)」「鳥の声だ(きれいだな)」といった、音への意味づけや判断(ラベリング)をやめます。
3. 音そのものになる: 音を「単なる振動」として受け取ります。
音が生まれ、鼓膜を震わせ、そして静寂の中へと消えていく。
そのプロセス全体を、ただ透明なマイクになったつもりで拾い続けます。
【ポイント】
遠くの音、近くの音、そして自分自身の呼吸の音。
すべての音を平等に扱います。
音を追いかけるのではなく、音があなたの元へやってくるのを待ちます。
すると、音と音の間にある「静寂」の存在に、ふと気づく瞬間が訪れるでしょう。
音があるからこそ、静寂があるのです。
終わりに:瞑想は「練習」ではなく「習慣」
これら3つの瞑想は、どれも「何か特別な能力」を開発するものではありません。
私たちが本来持っている「感じる力」や「静けさ」を思い出すための作法です。
最初は5分で構いません。
「うまくできた」「できなかった」という評価も手放しましょう。
それはエゴの仕事です。
ただ、毎日、少しの時間だけ、情報のスイッチを切り、自分の内側の縁側に座る時間を持つこと。
歯を磨くように、心を洗う時間を持つこと。
その積み重ねが、日常の景色を少しずつ、しかし確実に変えていきます。
焦らず、期待せず。
ただ、そこに座ることから始めてみませんか。
ではまた。


