ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが体を柔らかくするための体操ではなく、心を本来の「自由」な状態へと還すための壮大なプロジェクトだからです。
「心は、ひたすらに自由である」
私たちは普段、自分の心が自由だなんて、ちっとも思っていませんよね。
むしろ、不自由で、窮屈で、何かに縛られていると感じている時間のほうが長いかもしれません。
しかし、ヨガの智慧は断言します。
不自由だと思っているのは「勘違い」であり、本来の心は、大空のようにどこまでも広がり、何ものにも染まらない、完全なる自由そのものである、と。
今日は、この「心の自由」について、少し掘り下げてみたいと思います。
現代社会という「不自由の檻」
私たちは今、かつてないほど「自由」な時代を生きています。
職業選択の自由、居住の自由、表現の自由。
スマホ一つあれば、世界中の情報にアクセスでき、誰とでも繋がれる。
一見すると、私たちは無限の選択肢を持った、自由な存在のように見えます。
しかし、逆説的ですが、この「選択肢の多さ」こそが、私たちを不自由にしてはいないでしょうか。
「もっと良い選択があるかもしれない」「この選択で失敗したらどうしよう」という不安。
SNSで他人のキラキラした生活を見ては、「それに比べて自分は」と落ち込む比較。
「こうあるべき」「こうせねばならない」という、見えない社会の同調圧力。
私たちは、物理的な鎖ではなく、「情報」や「承認欲求」、「将来への不安」といった鎖で、自らの心をがんじがらめに縛り付けています。
現代のストレスや生きづらさの正体は、この「自由の中の不自由」にあるように感じてなりません。
心の本質は「空(くう)」
ヨガでは、心の本質を「空(くう)」や「プルシャ(純粋意識)」と呼びます。
空を見てみてください。
雲が流れ、雨が降り、雷が鳴り、時には虹がかかります。
しかし、空そのものは、雲に汚されることも、雨に濡れることも、雷に傷つけられることもありません。
どんな現象が起きても、その背景にある「空」というスペースは、常に変わらず、静寂で、無限の広がりを保っています。
私たちの心も、これと同じです。
怒りや悲しみ、不安といった感情は、空に浮かぶ「雲」のようなものです。
私たちはつい、その雲(感情)を「自分」だと思い込んでしまいます。
「私は怒っている」「私は悲しい人間だ」と。
しかし、それは一時的な天気予報に過ぎません。
雲の奥にある「あなたそのもの(空)」は、どんな感情にも傷つかず、どんな過去にも縛られず、ひたすらに自由なまま存在しているのです。
「自由」を取り戻すための練習
では、どうすればその「本来の自由」を思い出せるのでしょうか。
ここで、ヨガの実践が登場します。
1. アーサナ(ポーズ):身体の縛りを解く
まず、身体の凝り固まり(緊張)は、心の凝り固まりです。
肩が上がっている時、心も身構えています。
アーサナで身体の結び目を解いていくことは、心にかかったロックを物理的に外していく作業です。
身体が広がると、不思議と心にもスペースが生まれます。「まぁ、いいか」と思える余裕が生まれます。これが自由への第一歩です。
2. 瞑想:思考の雲を見送る
静かに座り、次々と湧いてくる思考や感情を、ただ「見る」練習です。
「あ、今イライラしているな」「明日のことを心配しているな」
そうやって客観視できた瞬間、あなたは雲の中に巻き込まれているのではなく、雲を見ている「空」の立場に戻っています。
思考と自分を切り離すこと(脱同一化)。これが、心の自由を取り戻すための最強の鍵です。
3. 手放す(ヴァイラーギャ):執着からの解放
私たちは「自由になりたい」と願いながら、同時に多くのものを握りしめています。
地位、名誉、所有物、正しさ、若さ。
「これがないと幸せになれない」と信じ込んでいるものこそが、実は最大の不自由の原因かもしれません。
ヨガは「得る」プロセスではなく「手放す」プロセスです。
握りしめていた手をぱっと開いた時、そこに残るもの。それが本当の自由です。
あなたは、すでに自由です
「心はひたすらに自由」なんですって!
この言葉を、お守りのように胸にしまっておいてください。
会社で理不尽なことを言われた時。
将来が不安で眠れない夜。
人間関係で心がざわつく時。
そんな時こそ、空を見上げて思い出してください。
「今のこの感情は、空を流れる雲に過ぎない。私の本質は、この背景にある青空そのものだ」と。
あなたは、何かを達成したり、どこか遠くへ行ったりしなくても、今この瞬間に、そのままで完全に自由な存在なのです。
ただ、そのことを忘れてしまっているだけ。
ヨガとは、その健忘症を治し、本来の自分を思い出すための、優しいリハビリテーションのようなものです。
束縛のない、広々とした心で、今日という一日を味わってみませんか。
風通しの良い縁側で、お待ちしております。
ではまた。


