あなたにとって美しさとは何ですか。
抽象的な概念って難しいですよね。
抽象度が上がれば上がるほど、人それぞれの解釈や思いも大分違ってきますから。
初めに言ってしまうと、在りのまま、そのままが一番美しいと私は思うのです。
見た目の美しさ
みなさん見た目を気にしますよね。
悪いと言っているわけではありません。
見た目を気にし過ぎている人が多いような気がします。
元々持って生まれた姿・形・才能などは、その人であったり物の財産ですので、それを覆すことは難しいと思います。
覆すことが難しい中で、皆さんあれをやってみたりこれをやってみたりで美しくいようとするものです。
でもそれはしょうがない部分も多少あるのかなとは思います。
やっぱり、見た目が美しいものは理屈抜きで美しいと感じてしまいます。
そして美しいものには美しいというラベルが貼られてしまいます。
そういう世の中なんだということもありますよね。
見た目を全く気にしないのもどうかと思いますが、気にしすぎると疲れちゃいますよね。
見た目を気にしすぎて疲れていることに気がつかないと、何のために美しくいたいのかという当初の目的とずれたことをしてしまう可能性があります。
その結果残念なことになっている方も多いのではないでしょうか。
美しく見せるための技術を磨くより、自分自信が丸っと全部美しくなれた方が良いと思いませんか。
美しく在りたいのにそこの努力を惜しむのは本末転倒、何も意味をなさない気がします。
美しさとは何なのか。
自分にとっての美しさ、特に見た目に求める美しさって何か、自分の中で一度はっきりさせておくといいかもしれませんね。
内面の美しさ
さてさて、美しさ責めです。
内面の話をすると外はどうなんだって事もあるでしょう、外も磨いていいんです。
汚い服より綺麗な服を着ている人の方が好印象ですし、第一汚い服着ている人にはあまり近寄りたくないのが正直なところ。
着ているものではなく、その人自身はどうなのか。
美しい人はやはり内なるものが溢れていますよね。
所作、話し方、話す言葉の選び方、そしてものの考え方に至るまでその人が出ていますよね。
潔く生きている人は、見ていて潔さを感じますし、男気ある人はやはり見た目も伴っているように感じます。
結局のところ、自分の中身が、自分の生き方がそのまんま出てきてしまうということです。
そのまんま出てきて、人の目を介し印象付いていくのですね。
だから外側を変えるより内側を変えていった方がとてもシンプルに考えられるんじゃないかと思います。
周りにどう見られているかよりも、自分がどういう人でありたいか。
どういう素敵な人でいたいか考えた方が何だか健全な気がしませんか。
周りに気を取られていると、ブレます。
人はコロコロと意見が変わります。
成長するたび意見は変わっていくので悪いことではありません。
ですが他人のそんな意見に左右されているうちは自分というものが安定しません。
自分自身でこうなりたいものを明確にしたら、ちょっとやそっとではブレないと思います。
まずは自分がどうなりたいか、どうありたいかがとても重要になってきます。
決めたらあとはそのように生きていくだけだと思います。
それがとても難しいことなんですけどね。
見る側の美しい目
さて、見られるということは見ている側がいないと成り立ちませんね。
自分の見た目も気にしますが、相手のこと、こちらが見る側になった時にも美しさというものは現れます。
先にも書きましたが、美しいものを見た時に美しいと思いますよね。
この美しいという感情は、自分の意思とは関係なく勝手に出てきてしまいます。
やめようと思ってもやめられるものでもありません。
ですが、美しいというのは主観なので、人によってどういうものを美しいと思うかは違ってきます。
なので、美しさは強制も強要もできないのです。
同じ感性を持っているなら共感はできますね。
同じものを見て美しいと思えることって実はとても幸せなことだと思います。
何かを見て美しいと感じるのは、自分の目から入った情報により美しいと感じます。
自分の目というフィルターを通してものは見えています。
そのフィルターがどういうものかによって物の見え方は変わってくるんだと思います。
このフィルターが結構厄介なものなんですよね。
見たまんま、そのまんまのものがどれだけシンプルに、ストレートに届いているか。
見た目とは違う、ギャップであったり、印象であったり、意外と思ってしまうのは、人の見た目だけで何かが判断されているということになります。
今まで生きてきた人生の中での教訓であったり、経験により、様々なフィルターをかけているのではないでしょうか。
フィルターをかけるなというのは無理な話で、これもまた自分の意思ではどうにもできないところなのかなと思います。
どうにもできないならどうするか。
答えはあそこを磨くんですよ。
心の美しさ
美しさ縛りです。
見たものを自分のフィルターにかけてしまう。
それはしょうがないことだと思います。
ですが、受け取った情報をどういう気持ちで処理してその後にどう行動に移していくかは自由に選べます。
目の前で起こったことは事実です。
その事実にどういう判断をするかは自分次第です。
そしてその判断を一瞬のものにするか握り続けるかは自分次第です。
美しいものも今は美しいですが、それをずっと握り続けていては情報が古くなり時代遅れになるかもしれません。
美しくないと感じてもすぐにその感情を手放すことにより次また同じものを見た時に新しい気持ちで見ることができ、印象が変わっているかもしれません。
そして今自分の目から見えているものが全てではないということ。
人は目で見えない部分がほとんどですから。
そこを見るのは心の目です。
心の目と言うと分かりにくいので、優しい気持ちと言っておきましょうか。
人を見る時、何か物を見る時に、優しい気持ちで見ることができるかどうか。
目に見えているものだけに頼らず、その人の持っている内なる輝きを見ることができるかどうか。
人間はそれができると思っています。
そして心を磨くことで、人の内なる輝きを見る精度が増していくと思っています。
おわりに:全ての人が美しい、あとはそれを伸ばすだけ
ということで、始めにも書きましたが、在りのまま、そのままが美しい。ということです。
そのままが美しいんです、本当は。
それがいつしか、たくさんの情報や人の意見に操られ流され湾曲してしまっているのではないかと。
そしてそれが、さも当たり前でみんな望んでいる事かのようになっている気がします。
人はそれぞれに誇れるものがあり、誰かにとってなくてはならない存在なのです。
自分の美しさをしっかり受け止め、あとはそこを伸ばしていけば良いと思います。
自分の素敵なところ、可愛いところ、かっこいいところ、優しいところ、丁寧なところたくさんの美しい所を大切に育てていって欲しいのです。
大切に育てていった先にはもしかしたら美しいという概念すらなくなっているかもしれませんね。
そんな世界こそがSo Beautifulなんだと思うのです。