呼吸と意識、穏やかな呼吸の先に見えるもの【ヨガインストラクター日記】lala vol3

ヨガライフ-東京日記

lalaのヨガ日記です。

今回は呼吸と意識の話です。

人間の身体の機能の中で自分でコントロールできるものの一つに呼吸があります。

人間は平均して呼吸を一日20,000回すると言われています。

その全ての呼吸をコントロールすることはできませんが、自分で意識をした時だけでもコントロールできたとしたら。

何かとんでもなく凄いことが起きそうな気がしませんか。

考えただけでもワクワクしちゃいますよね。

 

呼吸は学ぶものか

初めに言いますが、私はちゃんと呼吸法を学んだことはありません。

ちゃんとというのがどういうものかは深く追求しないでいただきたいのですが、一般的にいう呼吸法のワークショップであったり、呼吸に特化したクラスというものは受けたことがありません。

なので、専門で学ばれたことがある方には当たり前の事であったり、間違っている事もあるかもしれません。

でもここでは、学んだことはないにしても、私が日々の生活やヨガの中で実際に自分の身体で体験し、周りの人を観察して感じて思ったことなので、あたたかい気持ちで読んでいただけると幸いです。

何しろ毎日何も考えなくてもしている呼吸ですから、学ぶものか知るものか気付くだけのものなのか、分かったところで人間の身体の神秘に比べたらたった一つのものでしかないのですよね。

 

とはいえ気になる浅い呼吸と深い呼吸

人間は平均して一回に500ミリリットルのペットボトル一本分の空気をスーハーしているそうです。

一回分の呼吸の空気の全てが肺に送られるわけではないのです。

その送られなかった空気は死腔(しくう)と呼ばれています。

面白いのは浅い呼吸をしようが深い呼吸をしようが死腔量は変わらないというところです。

ですので、例えば一分間に同じ分量の空気を肺に入れるとして、浅い呼吸と深い呼吸では深い呼吸の方が効率が良いということになります。

分かりますよね。

浅い呼吸を続けると、呼吸にまつわる身体の機能を細かく連続して使い続けるので疲労につながるということですね。

 

ヨガと呼吸

私はヨガ(BORN TO YOG)を教えることを生業にしていますが、私がヨガをするうえで最もと言っていいほど大切で大事だと思っているのが呼吸です。

呼吸を整えるためにヨガをしていると言っても決して大げさではないと思っています。

ヨガをしているときの理想的な呼吸は、穏やかな呼吸だと思っています。

どんなヨガのポーズであっても、その場所にそのまま、ずっと同じポーズでいられるようになりたいものです。

そのためには力を抜き、リラックスして穏やかな呼吸でなければいけないですよね。

浅く短い呼吸を繰り返していると体はすぐに疲労してきます。

ですのでヨガクラスで教える時は呼吸に意識を向けてもらうようにインストラクションを心がけています。

誰かの呼吸に合わせるのではなく自分の呼吸に合わせて動いていきます。

呼吸にのせて身体を動かすことにより、柔軟性を高めたり、可動域を広げたりしていきます。

あと少し、もう一歩を呼吸を使うことによって可能にしていきます。

 

穏やかな呼吸の先に見えるもの

ヨガのポーズ上達のためには、継続した練習が必要です。

一定の練習量をこなせるようになったら、意識の中の目線を自分の身体にフォーカスしていきます。

内観というものでしょうか。

身体の内側から自分の見たい場所を集中して観察していきます。

集中している時の呼吸はどんな呼吸をしていますか。

口呼吸になっていませんか。

強すぎる呼吸になって肩が上下していませんか。

そんな時は何かのバランスが崩れているかもしれません。

穏やかな呼吸ができていない時は、やりたいことやなりたいものになれていない時ではないかと思います。

大事な何かを見落としているように思います。

先にも言いましたが、一番大切なのが呼吸だということです。

呼吸をおろそかにしたその先には望んだものとは違う結果になっているのではないでしょうか。

穏やかな呼吸、簡単なようで難しいものです。

難しいですが毎日少しずつの意識で変えられると思いますので、ぜひやってみていただきたいです。

 

終わりに:呼吸はいつも一緒ですから大切にしていきたいですよね

なんだかんだ言っても、呼吸はいつも一緒に、一番近くにあるものですから大切にしたいものです。

難しいと考えずに自分のサポーターや応援してくれるものの一つとして考えてみるのもいいかもしれません。

自分のさらなる飛躍に向けて。

神頼みではなく自分頼みです。

呼吸をコントロールすることで自分自身もコントロールしていくのです。

自分自身をコントロールした先には常にご機嫌な自分がいるはずです。