ヨガや自己啓発では、与えることで得られるという趣旨のことが言われます。
実際にそういうところはあると思います。
お金でも豊かさでも循環というのは出す人がいて初めて成り立ちますしね。
出すことにフォーカスしたカルマヨガという奉仕のヨガもあります。
これは奉仕するヨガということで、ヨガでボランティア活動(無料クラスの開催やお手伝いなど)をすることです。
大きな解釈では、奉仕活動・ボランティア活動すべてをカルマヨガとも呼んだりします。
カルマヨガをとても勧めているヨガ流派もあります。
与えることは大切なことです。
与えるから豊かになるのも真実です。
ですが、何を与えるのかを自分の中で決めることができていない人は確実に疲弊します。
与えすぎの疲弊です。(実際は与えすぎというよりかは求めすぎ)
人にはそれぞれの個性や能力があります。
そこを考慮せずに与えてばかりいると豊かさではなく貧しさがやってきてしまうのです。
与えることは大切だが
与えること大切だが(そして基本的には与える人がいることで社会は循環されている)与えることでの罠もあると感じます。
与えることが悪いということではなく、働きすぎや与えすぎによる疲弊があるということです。
無償で働きまくっている人もいるかと思います。(少ないとは思いますが)
そういう人は、何かしらの葛藤や前提があると感じます。
本当に楽しいのなら、どんどんやっていいと思います。
でも葛藤がある人が多いと感じます。
突拍子もない感じに聞こえるかもしれませんが、そういった人は「お金をもらってはいけない」とか「お金をもらう人間ではない」とか、そういう設定や葛藤があったりします。
多くの人は強かれ弱かれ、こういった「お金をもらってはいけない」とか「お金をもらう人間ではない」という前提があります。
だから、お金をもらわないで働くことでいろんな埋め合わせをしており、それと気づかずオーバーアチーブすることで体も疲弊し、いろんな矛盾や疲弊に繋がります。
与えることや一生懸命に働くことは素晴らしいことではありますが、エネルギー循環として与えすぎはアウトプットが多すぎるのと同時に、ただ貰ってばかりの「くれくれ人」にも与えてしまっているのです。
だから疲弊していく人もいると感じます。
基本的には与える
基本的には与えるでいいと思います。
自分を成長させるのも、与える循環のなかでそれは起こります。
人に何かを与えることで、与えられる人間になり、結果成長が起こってきます。
与える人が与えられる人なのは真実です。
与える循環で、与えられることも入ってきます。
出せば入るの法則ですね。
刈り取りの法則でもあります。
自分の蒔いた種が芽が出て、その後刈り取るわけですね。
因果応報とも言えます。
だから、何を撒くかが大事です。
喜びが撒かれると喜びの芽が出ますよね。
怒りの種が撒かれるとしっかりと怒りの芽がでます。
そういうものです。
難しいのは頑張るということです。
頑張っていくことをしてしまうと「頑張らないとうまくいかない」という種を撒くことになります。
頑張って頑張って頑張っていけば、頑張らないといけないという種がたくさん撒かれてしまいます。
そうすると、頑張ることでしか豊かさの循環が生まれないということです。
ですので、頑張らないことです。
頑張らないで豊かさの種を撒いていくことです。
与えることを頑張らない。
楽しんで与えられるといいですね。
与えていることも忘れて循環していると最高ですね。
自分が我慢する循環では疲弊していく
与えることが大事でも、自分が我慢していることを与え続けることはできません。
我慢にも限界あります。
仮に給与がものすごく高くても、我慢で仕事をしていると、期間を決めないとかなりの疲弊が起こります。
人によってしばらくのあいだ、休まないと何もできない状況になってしまいます。
なので、我慢で与えることはやめた方がいいです。
やはり、好きなことで与えることです。
仕事も好きなことに移行することです。
好きなことでエネルギーの循環をしていくことが非常に大事。
社会においても我慢している人も多いですが、これからは我慢や頑張りや傲慢ではいけません。
楽しく感謝を持って物ごとを進めていく社会になっていきます。
我慢や頑張りや傲慢のない世界になっていきます。
エネルギーを与えることで循環に乗る
ヨガインストラクターさんは、エネルギー循環をヨガクラス、生徒さんやヨガスタジオを通して回していくことが大事です。
エネルギーも循環しないと、誰かが滞りを起こしているということです。
そういった陰の部分は放っておくと、何かしら良からぬことが起こって来ます。
知らないところで腐って異臭を放ち、蝕んでいくです。
だから循環です。
エネルギー循環が大事なのです。
個人の中での循環、社会的な循環、両方ともです。
エネルギーの循環が起こると予想もしていないことが起こったりします。
シンクロニシティのようなものであったり、突然のお誘いであったり、予想外の出来事が起こったりします。
これがまた楽しいです。
与えすぎることで疲弊せずに、好循環なモデルで与えてみてください。
与えグセのある人もいるので、そういった人は自分の中を探ってみるとよろしいかと思います。
「与えすぎてしまうのは、何がそれを起こしているのか」「与えることで、何を私は得たいのか」そういったことから真実が見えてきたりします。
終わりに:与えることで、埋め合わせをする
人は与えることで、自分の存在意義を高めようします。
与えることが優位性を高める場合があるからです。
日常生活での話しなので、特殊な場合や寄付や募金は除外してください。
普通に与える必要もないくらいに過剰サービスしてしまう人は何か裏に理由が潜んでいます。
埋め合わせをしないといけないというのは勘違いです。
何か勘違いを起こさせる観念があります。
人は存在しているだけで価値ある存在です。
存在としてそもそも価値があります。
与える与えないの問題ありません。
存在しているだけで価値ある人が、行動を通して人に何かを与えているのです。
自分の存在価値を高めるために与えるのではないのです。
すでに豊かである。
だから、周りに与えるのが楽しいのです。