仮想現実のような現実を生きているけれど、やっぱり世界を知ってみたい

スピリチュアル

人はこの世界のことを何もわからずに生まれてきますよね。

中には記憶のある子供達もいるようですが、私は過去生の記憶は今のところ思い出せないし、何をするために生まれて来たかも思い出せないです。(一度会っている人の顔も思い出せないのに、もっと昔を思い出せるのか?)

物心ついたときには、この現実世界のゲームはスタートしています。

ルールの知らない人生ゲームがスタートしているわけですね。

ルールやゴール、目的もわからずに気づいた時にはスタートを切っているという不思議な世界です。

小学校の頃に、ふとした直観で「この世界の成り立ちを知りたい」と思ったのを今でも覚えています。

それが始まりでした。

 

この世界を知りたい

小学校の頃に世界を知りたいと漠然と思ったことを覚えています。

ゲームをやっていた時に(ドラクエ3ですね)、自分の生きている世界もこのようなゲームの世界なのではないかと直観したわけです。

だから、知ろうと思えば知れるし、死んだ時にはすべてが開示されていくのかと思ったわけです。

もちろんそのように明確に言語化できたわけではないのですが、そのようなことを考えたのは覚えています。

その時の根源的な思いは止まることなく、今でも世界を知りたくて生きているところがあります。

世界というと、この現実的な世界だけかと思うかもしれませんが、すべての世界を含めます。

精神世界も含めて世界を知りたいということです。

精神世界の本を学ぶと色んなことが書かれておりますが、現実世界を含めて地続きとなっていると感じる精神世界まで含めて知りたいという思いでここまできています。

 

どうやったら知れるのか

どうすれば知れるのか、これがまず初めの疑問でした。

ドラクエ3のようなゲームの世界の住人がどうしたら、この世界(ゲーム)をプレイヤーなのに知れるのか。

難しい問題です。

それっぽい言い方をすると、客体が主体を見ることができるのか、ということです。

実際には見ることができないので、プレイヤーがクリエイターの視点に立てないじゃないかと思ったわけです。

何度も書きますが、小学校の時なのでこういったことを違う言葉で直観的に考えたわけです。

そして、至った結論が「死ねばわかる」というものでした。

死んでしまえば、この世界の仕組みは開示されるのだろうと思ったのです。

 

瞑想と出会う

「死ねばわかる」ということがわかった小学生のわたしは、何をしたか。

何もしませんでした。

死ねばわかるのなら、だったら死ぬまで生きればいいと思ったわけです。

よかったです。

その後、瞑想に出会うことになります。

瞑想に出会うことで、死ななくてもわかるツールがあるぞ、と確信していくわけです。

大学生の頃から瞑想をスタートしていくわけです。

その大学生の頃に、自分の思想を作っていく人たちとも出会っていきます。(本やセミナーですけど)

今でもバイブルになっている足立育朗さんも大学生の時に出会ったスゴイ人の一人です。

波動の法則に基本的なことが書いてありました。

波動の法則についで、さらに足立育朗さんの著作は続きますので、ご興味のある方はこちらからどうぞ。

船井幸雄さんも足立育朗さんの書籍を”経営者必読の書”として紹介されていました。

船井総合研究所を作った船井幸雄さんも私にとって最高にスゴイ人でした。

100冊以上は船井幸雄さんの書籍を読んだことでしょう。

そこから派生してどんどん色んな人に出会っていくわけです。

続きはまた書きます。

 

終わりに:夢の世界であっても生きる

この世界が夢と同じ空想の世界だと思ったことはありますか。

多くの人があると思います。

意識が作り出しているのか、本当に存在しているのか曖昧な世界。

この不思議な世界の住人でありますが、せっかくですから生き抜こうとは思っています。

輪廻転生があるのなら今世で終わりにしたいぐらいですが、知ってから死にたいと思っています。

本当は何が起こっているのかを知りたい。

何が本物なのかを知りたい。

そう思っています。

それには、覚悟が必要です。

自ら世界を知るために一歩を踏み出し、行動していく覚悟が必要なのです。

過去に囚われている暇もないし、未来に不安を抱いている暇もないし、今という少し過去に身を置いている暇もない。

時間が消滅するほどに、自分が消滅するほどにありありと生きていく、そういった覚悟です。

これからどうなるのかはわかりませんが、世界を知れたらご報告したいと思います。