ブラフマチャリヤ(禁欲)の教えは、私たちにエネルギーを賢く使うことの重要性を説きます。しかし、これを「あらゆる快楽を否定する苦行」と捉えてしまうと、人生は彩りを失い、窮屈で不自然なものになってしまうでしょう。ヨガの道は、快楽主義と苦行主義という両極端を避ける「中道(ちゅうどう)」の智慧に貫かれています。問題は快楽そのものではなく、私たちがそれと「どのように関わるか」にあるのです。
人生という海には、感覚的な快楽という名の波が絶えず打ち寄せてきます。美味しい食事、美しい音楽、心地よい肌触り、魅力的な異性。これらの波から完全に逃れることはできませんし、その必要もありません。ヨガの成熟した実践者が目指すのは、その波に「溺れる」のではなく、意識というサーフボードを使って、巧みに「波乗り」をすることです。
「溺れる」とは、どういう状態でしょうか。それは、ある特定の快楽なしではいられなくなり、それに完全にコントロールされてしまう「依存」の状態です。その快楽を追い求めるあまり、自分の健康や大切な人間関係、人生の目的といった、より重要なものが見えなくなってしまう。快楽の奴隷となり、それがなければ自分は幸せになれないという欠乏感に常に苛まれている。これが「溺れる」ということです。
一方、「波乗り」とは、どのような関わり方でしょうか。それは、波が来た時には、その力を借りて、存分にそのスリルと喜びを「味わう」。しかし、波が去った後も、それに執着して追いかけることはしない。穏やかな海の状態もまた、静かに受け入れ、楽しむことができる。快楽に対して、常に自分が主人であるという自由と主体性を保っている状態です。美味しい食事を心から楽しむけれど、粗食であっても不満はない。情熱的な関係を育むけれど、一人の時間もまた豊かである。これが「波乗り」の境地です。
この巧みな波乗りの技術を身につけるための鍵は「マインドフルネス」、すなわち「今、ここ」への完全な集中です。
例えば食事をする時、テレビを見ながら、あるいはスマホをいじりながら無意識に口に運ぶのではなく、一箸一箸、その色、形、香り、食感、そして味を、全身全霊で味わってみるのです。これを「マインドフル・イーティング」と呼びます。そうすると、驚くほど少量で、深い満足感と感謝が湧き上がってくることに気づくでしょう。感覚を研ぎ澄ませて味わう時、私たちは過剰な量を求める必要がなくなるのです。
引き寄せの法則との関係で言えば、「溺れている」状態は、「これがないと私は幸せになれない」という強力な欠乏のシグナルを宇宙に発信し続けます。その結果、その欠乏感を埋めるために、さらに強烈な刺激を求め続けるという悪循環に陥りがちです。
それに対して、「波乗り」をしている時の心は、軽やかで、自由で、満たされています。「今、この瞬間を楽しめる私」という充足感の波動が、さらなる喜びや楽しい経験、心地よい豊かさを自然に引き寄せてくるのです。それは、必死で幸せを追いかけるのではなく、ただ在るだけで幸せが向こうからやってくるような感覚です。
あなたの人生に打ち寄せる、感覚的な喜びの波。それを恐れることも、拒絶することもないのです。ただ、あなたの意識というサーフボードを携え、その波がもたらす一瞬一瞬の輝きを、遊び心をもって楽しんでみてください。楽しむ、しかし、決して囚われない。その自由な精神こそが、ブラフマチャリヤの真髄であり、真に豊かな人生を創造するための、究極の秘訣なのです。


