私たちの人生には、様々な「問題」が立ち現れます。言うことを聞かない上司、理解のないパートナー、経済的な困難、健康上の不安。私たちは、これらの問題に直面したとき、その原因を自分の「外側」に探しがちです。「あの人のせいで、私は不幸だ」「この環境が悪いから、うまくいかない」。このように、問題の原因を他者や状況に帰属させることで、一時的な心の安寧を得ようとします。自分は正しく、被害者である、と。しかし、この態度は、私たちから現実を創造する力を奪い、無力な犠牲者という役割に閉じ込めてしまう、極めて不自由なあり方なのです。
ヨガ哲学や東洋の叡智は、これとは全く異なる視座を私たちに提供します。それは、「あなたが外の世界に見ている『問題』とは、あなた自身の内面の状態が、鏡のように映し出されたもの(投影)に過ぎない」という、ラディカルな自己責任の思想です。ここで言う自己責任とは、自分を責め立てるという意味ではありません。むしろ、すべての出来事の創造の源泉が自分にあることを認め、人生の主導権を完全に取り戻す、という力強い宣言なのです。
この「投影」のメカニズムは、スイスの心理学者カール・ユングが明確に言語化しましたが、その根底には、仏教の唯識思想などが説く「世界は心の現れである」という世界観が横たわっています。例えば、あなたが職場のある同僚に対して、強烈な嫌悪感や怒りを感じるとします。私たちはつい、「彼の横柄な態度が問題だ」と考えます。しかし、ヨガ的な視点に立つならば、問うべきはこうです。「彼のどのような部分が、私自身の内なる何を刺激しているのだろうか?」と。
もしかしたら、彼の横柄に見える態度は、あなたが自分自身に禁じている「自己主張」や「自由奔放さ」を体現しているのかもしれません。あなたは心の奥底で、彼のように自由に振る舞いたいという抑圧された欲求を抱えており、それを自分に許していないがゆえに、いとも簡単にそれをやってのける彼に対して、過剰な反応を示してしまうのです。あるいは、彼の姿の中に、過去にあなたを傷つけた父親の面影を見出し、未解決の感情を彼に「投影」しているのかもしれません。いずれにせよ、その強烈な感情のエネルギーの源は、彼という「外側のスクリーン」にあるのではなく、あなたという「内側の映写機」にあります。
この構造を理解することは、私たちを人間関係の袋小路から解放してくれます。なぜなら、私たちは他者を変えることはできないからです。他者を変えようとする試みは、鏡に映った自分の顔の汚れを、鏡の表面を拭くことで取ろうとするようなもので、徒労に終わるだけでなく、さらなる対立と消耗を生むだけです。私たちにできる唯一のことは、鏡に映る自分の顔、すなわち自分自身の内面を洗い清めることだけ。自分の内側にある未解決の課題や、認めたくない影(シャドウ)に光を当て、統合していくことで、不思議なことに、外側の世界、つまり鏡に映る映像もまた、変容していくのです。
「引き寄せの法則」も、この投影の原理に基づいています。あなたが「問題だらけの世界」という周波数で生きているとき、あなたの意識は常に「問題」を探し出し、それにエネルギーを注ぎます。その結果、あなたの現実は「問題」で満たされ、あなたは「やはり世界は問題だらけだ」という信念を強化する。これは、負のスパイラルです。
この連鎖を断ち切るためには、問題が起きたときに、外側を指差す指を、くるりと内側に向ける勇気が必要です。「この出来事は、私に何を気づかせようとしているのだろうか?」「この不快感は、私の内なるどのような声の代弁なのだろうか?」と。この内省的な問いこそが、あなたを被害者の座から引き上げ、人生の創造主の座へと連れ戻すのです。
世界は、あなたという存在を映し出す、巨大で忠実な鏡です。もし、その鏡に映る世界が気に入らないのであれば、鏡を叩き割る必要はありません。ただ、微笑みかければいいのです。あなたの内なる平和と調和が、そのまま、平和で調和のとれた世界として、あなたの眼前に現れるでしょう。


