視界を広げることが必要な時があります。
視界を広げないとと思えているうちはまだ自分の視界の狭さに気づいているので、少しはマシかもしれません。
視界が狭くなっているのに、その狭さに気づいてい時の方が危ない。
人というのは、いつの間にか視界が狭くなってしまうものです。
ちょっとしたことでも自分の了見の狭さにびっくりすることがありますので、いろんな視点で物事が見えるといいですよね。
そういったいろんな視点を教えてくれる一つが友人の存在です。
大きいですね。
普段の何気ない雑談だけでも自分にない視点を教えてくれます。
そういった視点が一定量集まると、ハッとする瞬間が訪れるのかもしれません。
そもそも、人というのは自分の心でさえ、よくわからなかったりするものです。
ましてや他人の心なんて全くわからないでしょう。(言い過ぎかもしれませんが)
だから、視野が狭いなと思っているぐらいでも先ずはいいのかもしれません。
ポジティブ過ぎますかね。
自分のことさえわかっていないのに
視野が狭いだけでなく、普通に自分のことというのはわからないものです。
(先ほども書きましたが)ましてや他人なんてわかりません。
だから、たくさんコミュニケーションをとるのです。
とっても分かり合えないと思います。
でもコミュニケーションを取り続ける。
そういうものだと思います。
なのに、人のことをわかったように言う人がいるのも確かです。
なんでそんなに言い切るんだと。
びっくりします。
そう言う人の話は、話半分に聞くのがいいですね。
信じてはいけないんだなと思っています。
案の定、その人自体が支離滅裂なことを言っているということは多々あるからです。
実際に事実とは異なることを人に言っている現場を見ます。
話半分に聞いて距離を置くのが良いと感じています。
みなさんもご注意を。
自分の視野を広げていく
何はともあれ、自分を知ることが大事だなと思います。(そういう人もいるんだなというのも視野を広げる一つのきっかけになりました)
そして、自分の人生の流れに乗っていけるといいですね。
直観でもどんどん動いて行こうということを言っておりますが、自分の感覚が合っているのか合っていないのかわからないことも多々あります。
本当にこれでいいのかなと直観を疑ってしまうこともあります。
その時にどう判断するか少しだけヒントを書ければと思います。
視野を広げるという話からは少し逸れますが、いいですね。
ごめんなさい。
7回連続でモヤっとすることはやめていく
人生の流れに乗れているかは感覚でやってきます。
特に大事なことは好きなことをできているか、したいことをできているか、というよりかは、変なことをしていないか。
それは「モヤっと」しているのに続けていないかどうかということです。
心がモヤっとしているのに続けていると、そのモヤっとは大きくなります。
道を外れているのを自分で気づいているのに継続しているとき、自分でモヤっとを感じているはずです。
そのモヤっとを感じたら、やめること。
立ち止まることです。
そしてチェックすることです。
何にモヤっとしているのか。
実はやりたくないことをやっているということもあるかもしれません。
本心では違うと思っていることを、やらないといけないから本心でやりたいんだと勘違いしていることかもしれません。
また、逆にただ不安なことをモヤっとを言い訳にしているということもあるかもしれません。
心の羅針盤をどちらを向いているでしょうか。
モヤっとする時は立ち止まり、現状を把握するタイミングだと思います。
良い感じだけでなく、モヤっとにも気づいて人生の流れに乗っていきたいですね。
終わりに:くよくよしている時間はない
生きていればいろんなことがありますよね。
視野を広げることや直観で動いていくことで人生は楽しくなります。
でも、楽しくても大変なことは起こります。
そんなものです。
大変なことがあってもいいしょうがないですね。
でも、ずっとくよくよしたり落ち込んでいても先には進みません。
くよくよするというのはある種の気のせいです。
気が勝手にそのように動いているだけ。
どうせ”気のせい”ですから。
そんなにくよくよしている暇はないのですよ。
どうせ、大変なことはまた向こうからやってきます。
自分で勝手にくよくよしなくても大変なことはやってくるのでご安心ください。