BORN TO YOGというスタイルのヨガを教えています。
ともかく、楽しく真面目によく動くクラスです。
ヨガクラスをやっていて観じるのは、先生の身体の動作や所作、呼吸などを受けとれる人は上達が早いということです。
なぜ早いのか。
それは、感覚の同期が行われるからなのかと思っています。
感覚の同期です。
人と接するとその人の感覚がこちらにやってきますよね。
身体が重い人のそばにいくと、その身体の重さがこちらもやってきた経験はありませんか。
逆に、とても気分がよく足取りの軽い人と一緒にいると自分も気分良く足取りが軽くなる。
感覚って同期するのだと思います。
こういうのが全く影響されない人もいますし、極端に影響されてしまう人もいます。
感覚というのがヨガのポーズには非常に大切な要素になっています。
感覚がわからないとポーズのことは何もわかりません。
どんな身体操作でも、先生から習う時に大切なことのひとつにこの感覚の同期があるのではないかと思います。
いかがでしょうか。
同期するようにしてもダメ
感覚の同期はある種のセンスです。
同期しようとしてもできないからです。
同期というのは相手と感覚が合ってくることです。
相手(ここでは先生のことですけど)は、こちらや誰かに感覚を合わせようとしていますか?
合わせようとしておりませんね。
こちらが相手に合わせようとしている時点で相手と異なることをしようとしているので、感覚が同期できなくなります。
「先生は勝手に動いている」と「私は先生に合わせようと動いている」のふたつは異なるものなので同期のしようがありません。
なので、合わせようとしてはダメなのです。
話を聞くというのも一緒ですね。
聞こうとしている時点で聞いていない。
感覚の同期も合わせようとすると同期しなくなるのです。
同期するのがヨガクラスの目的
ヨガの知識は「本を読みましょう」と言ってます。(元も子もなくてすみません)
それが効率も良く手っ取り早いです。
大量に読んだあとに、それを元に先生とお話ししたり、実践したりすれば良いのかと思います。
だから、ヨガクラスでは先生の感覚に同期することが大事です。
それは実践でしか学べないことです。
ダンスでも武道でも一緒かと思います。
私はダンスはやりませんが、先生や尊敬する人と一緒に踊るだけでその人のいろんなものを吸収し発見し、身体にインストールされることでしょう。
どんな身体操作でも言えますが、先生の身体感覚に同期できるかが肝になります。
そのために先生がいるわけです。
ヨガのクラスも一緒です。
決して情報をくれるからいる訳ではありません。(情報ならネット上に山ほど転がっております)
もったいないことにしない
情報だけを求めていては非常にもったいない。
先生から学ぶは感覚です。
習い事ではその感覚を同期させるために先生を観ることになると思います。
ランニングしてるなら一流の選手の横に最初の10キロだけくっついていくだけで、ものすごい量の感覚的叡智がやってくることでしょう。
わかりますよね。
まったくの異なる次元を肌感覚で体験できます。
それが感覚の同期です。
そうするとどうなるでしょうか。
感覚に同期してしまったので、元の動作には戻れない。
戻れないのです。
元の自分には戻ることができない。
いったん、別次元に身体感覚が持ってかれると、その次元からしか捉えることができなくなってしまいます。
そんなブレイクスルーを体験するために先生はいます。
終わりに:今、居ついているところから離れるために先生がいる
手取り足取り教えてくれる先生もいます。
手取り足取りだと知識はつくかもしれませんが、身体感覚は身につきません。
先生というのは次の次元の身体感覚を教えてくれるものです。
身体感覚でない場合でも、その次の段階のものを気づかせてくれるものです。
自転車の乗り方の説明は上手くなっても、上手く自転車に乗れるようにはならない感じです。
もちろん例えなので、自転車の乗り方の説明がうまくなることを求めている人もいます。
それで用が足りることもあるのかもしれません。
ヨガでは無理です。
そして多くの場合、それは無理です。
料理のレシピがあっても、だれが作るかで美味しさにはとてつもない差が生まれるのと同じです。
手順書のようなものがあっても、その手順書通りにやったところで、やる人のレベルで全く異なるものになります。
ヨガもそういうものです。
先生に同期する。
どのレベルで同期できるか。
そこを肝にやっていくのがよろしいかと思います。
結局、誰のクラスを受けても一緒だったというのでは寂しいですからね。