人間関係のゴールのひとつに理解し合えることというのがあると思います。
あなたは、理解し合いたいですか?
理解しあいたいと思っている人も多くいることでしょう。
「別に理解したいとは思ってない」という人もいることでしょう。
どちらの方にもそれなりな言い分というか理由があることに思います。
ですが、そもそも理解することは無理です。
「察してほしい」「これくらい察して行動できるはずだ」ということを言われる人がいるように、その察することは難しく、この言ってる人も相手の気持ちを察することができないのです。
相手の気持ちを察していたら「察してほしい」とは言わないからです。
「そのくらい察っすることができるでしょう」という人でも、人の気持ちを察することは難しのです。
他人の気持ちなんてわからない。
そこを出発点にしないといけません。
相手のことを知ろうとすることから始まるのです。
そして、理解することはできないということを前提にずっと知ろうとすることなのです。
人間関係は理解し合うことを目指すのではなく、理解し合えないけど楽しい関係でいることを目指す
恋愛においてもスタートは「あの人をもっと知りたい」だと思います。
どういう人なのかなと知りたいというのが最初。
お察しの通り(?)、執着地点は「あなたのことはわかった」ですね。
別れの文句っぽいですよね。
人間は知らない時間の方が仲が良いのかもしれませんね。
人間関係で理解し合えたらかなりの幸運だと思います。
奇跡と言っていいのではないでしょうか。
基本的に人同士は分かり合えないというかお互いのことが理解できないものと思っています。
理解し合えないものである、ということです。
なのでたくさんの会話をして体験をして仕事をして遊んで理解を深めるのだと思います。
簡単に理解し合えるなら苦労はありません。
そして、理解し合えないけど、お互いが理解を深めていく関係というのが友好な関係なのだと思います。
互いに理解するというのは無理だから諦める
とはいえ、なかなか理解し合えない関係があります。
それはどうするか。
それは諦めることが大事です。
仮に理解し合えない仲の人が理解し合えたとしても、それは気のせいです。
どちらかの都合の良い関係になっているだけに観じます。
都合の良い関係で先はありませんし、実際に理解し合えることではないですからね。
注意が必要です。
互いに理解し合えなくても大丈夫です。
「そういう人なのね」ということがわかれば終わりです。
もちろん、気持ちはそんな簡単ではないことはわかります。
ただ、例えで言うと一般人に「なんで小説が書けないんだ!」という感じです。
小説が書けなくても罪の意識もないでしょう。
人が相手に求めている時というのはこういう感じになっています。
旦那でも嫁でも求めていることは、案外「なんで小説が書けないんだ」という感じになっていたりします。
普通は小説書けませんからね。
文章が書けるから小説も書けると思ってしまう。
みんな書けません。
そこがわかると「ま、いいっか」となるでしょう。
できそうに見えてもできないことはできないのです。
それでうまくいきます。
終わりに:結局のところ、期待し過ぎると辛くなる
人間関係では察することはできないし、相手のことを理解することはできません。
できるのは互いに理解しようとするプロセスであり、そのプロセスが人間関係を育むということです。
期待し過ぎてしまう人も注意が必要です。
他者に期待し過ぎると疲れるのです。
徒労に終わることが多いからです。
期待は、ある種の一方的な決めつけに近くもなります。
これらのことは前にもどこかで記事したかもしれません。
ともかく期待を下げることだと思います。
期待を下げて接すると意外と色んなことが気にならないものです。