目の前にある大変なことが壁だと思ってしまうことはありますよね。
でも、壁だと思っても壁ではないことがあります。
壁の横に道があることもあります。
案外、簡単に横から通り抜けることもできたりします。
少し下がってみると意外と低いこともあります。(壁じゃないということですね)
強固な壁だと思っても人の手を借りれば、穴を開けることもできたりします。
穴さえ開いてしまえば通り抜けることができますからね、もう壁ではありません。
壁だと思ったら案外壁ではないことがありますので、目の前のことが壁だと思ってもいったん退いてみるといいと思います。
離れたり、上から見たり、叩いてみたり、時間を置いてみたり、人はいろんなことができます。
離れて見る
壁をまずは離れてみることが大事です。
壁に近つきすぎてませんか。
壁に近づき過ぎていると、壁の全体を把握することはできません。
一度、離れて見るといいですね。
物事は一度離れて見るといろんなことがわかってきます。
例えば、人間関係でごちゃごちゃしたところにいる人は、いったんそこから距離を置いてみる。
すると、事実と解釈を分けて考えられるようになったりします。
「あの人がこういったのは〇〇だから、●●なのはよくない。なんのために私にあんなことを言ってきたのだろう。あんな言い方しなくてもいいのに。それにしても、あの人は前だってあんなことをして。」とかごちゃごちゃじゃないですか。
距離を置くと、思考に埋没しないで客観的に見れます。
- 事実はこれだけ。
- それに対して私はこう感じた。
- 他の人はこのように見ていた。
- その上で、私はこのように解釈した。
- そして私の感情がこのようになった。
そうやって距離を置くと見えてくるものがあります。
どんな物事もそうですよね。
だから客観的に見るとか俯瞰して見るとか、そういった思考が大事ですよという話になります。
それには離れて見ること。
渦中にいる時こそ離れてみることですね。
離れられない時こそ離れる、ですよ。
扉を横に引くような感じ
俯瞰したりして目線を変えるのはとても大事です。
人には思い込みもたくさんありますので、その思い込みが解釈や思考の邪魔を常にしていることは頭の片隅にいれておくといいでしょう。
「押してダメなら引いてみな」と言われます。
正直なところ、押しても引いてもダメな時ってありますよね。
何をやってもダメなどきです。
何をやってもダメと思っていても、対象の認識とを変えると大丈夫な時があります。
扉でいうと押したり引いたりする扉ではなく、引き戸なのではないかという認識に変えるということです。
そのように単純に違うやり方をしてみること。
頑張るやり方も変えてみるとうまくいったりします。
- 頑張るというのも長時間働くことだけで解決するのではなく、人にお願いしてみるとか。
- 休みの日の過ごし方も、身体を動かした方が案外休まることを発見するとか。
- 食事についても、量の制限をするよりも食べる時間を変えることでまったく身体の重さ軽さが変わるとか。
- 本を読むのに時間をかけないといけないと思っていたけど、オーディオブックで聴き流すと簡単に学べるとか。
異なる視点から眺めてみたり、試してみるとすんなりとできることがあります。
そういった発見は楽しいですよね。
普段からも異なる視点に立ってみることは、結構大事なことに思います。
なぜなら、人生をやめてしまいたくなる問題も見方を変えるだけで、解決してしまったりするからです。
もう1つ上の次元から見る
生きていれば大変なことはたくさん出てくるでしょう。
ある程度、一生懸命にやっている人は40才も過ぎれば、いろんなことができるようになります。
でも、常にもう一つ上の次元が常に存在します。
一つ上の次元に立てば物事は簡単に解決したりします。
どうやって立つか。
基本的には先達に学ぶとか、アイデア出しのメソッドを片っ端からやってみるとか、そういった基本的なことに思います。
そういったことの繰り返しでもう一つ上からの次元で見ることができます。
問題解決で悩んでいたとしたら、人に相談できるし、本も読めるし、YouTubeもあるし、インサイトマップもあるし、ゼロメモもあります。
今の世の中、大抵のことは調べればあるわけですね。
それを実践していけば動きが生まれます。
簡単には解決できないこともあるかもしれませんが、一つ上の次元から眺めることができれば物事は進んでいくでしょう。
終わりに:目の前に壁があると感じたら、階段だと思おう
人は思い込みが強いです。
因果関係もめちゃくちゃに解釈していたりします。
推測も大概がデタラメです。
認知バイアスもたくさんあります。
そんなものなのだと思います。
自分というのも、とてもおぼろげなものです。
自由意志錯覚という「私が選択している」という錯覚もあります。
私が手を動かしている、というのは錯覚なのですね。
人間はそういう曖昧な、あやふやな存在です。
ですので、いろんなことがあっても考え過ぎであったり、簡単に解決できることを騒いでいるに過ぎないわけです。
そんなものだと思って生きていくと楽しいと思います。
大概の悩みごとに関しては先達が解決策を提示してくれています。
本当に解決策がないものは、社会を代表して取り組んでほしいと思います。
大切な課題を見つけられているということですからね。