無条件というのはとても素敵なことです。
無条件で好きなことができたらと思うと気持ちも高まることに思います。
無条件で人は愛されています。
誰から愛されているのか。
それからです。
それというのは神、先祖、地球、宇宙、自然、摂理、理、サムシンググレート、クリシュナなんでも一緒です。
すべてから愛されております。
これが真実のようです。
人は何かを追い求める
人は何かを追い求めて生きています。
健康、お金、人間関係、など多岐にわたる内容で追い求めております。
愛を求めている人もいるかもしれません。
愛する人が欲しい人もいると思います。
愛が冷めることはあるのでしょうか。
愛というのはそもそも永遠のものなのではないか。
そんなことを思いながら日々は続いていきます。
人は何かしらのことを追い求めています。
その追い求めていることを強く持てば持つほど、苦しくなっていくようです。
条件付きをやめていく
条件付きで人を評価したりしてしまうことはあります。
人間ですから仕方がありません。
子供のこともただ好きだったのが「〇〇してくれたら愛してる」に変わっていたりします。
「ただ健康でいてくれたら」が「テストでいい点数をとってくれたら」に変化していき「ちゃんと仕事をしてくれたら」となってしまうように。
これはみかけだけの問題ではなく、実際にそういう人いますよね。
そういう場合は、当然ですけど勉強をしてくれていても愛してはいないのかもしれないですけどね。
恋人や伴侶なども条件をつけてしまうことがあるわけです。
条件がきつくなればなるほど、周りと衝突します。
自分の要求が強くなるので現実が厳しく観じられてしまう。
そこから、さらに衝突して解決をしようと思う人もいます。
大変なことになりそうですね。
条件が増えるほどに現実は辛くなるようです。
自己対話が必要
条件付けが厳しくなっていくのを防ぐには、自分の内面との対話が必要になってきますね。
なぜ、そのように観じてしまうのか。
なぜ、そのように考えてしまうのか。
なぜ、そのようにせずにはいられないのか。
本当は何をしたいのか。
本当は何をしてほしいのか。
本当はどうなっていきたいのか。
こういった自問自答から浮かび上がってきそうです。
人を愛することは自分の中にある大いなる愛に目覚めることです。
プレゼントとがもらえるから好きなわけではないですよね。
褒めてくれるから好きなわけではないですよね。
偉いから好きなわけではないですよね。
条件はどこからくるのでしょうか。
そこに大いなる何かに気づくヒントがありそうです。
終わりに:真に求めていること
私たちが求めることは、特定の対象ではありません。
それは源そのものにあります。
人によって今世でのテーマが何か設定されていることもあるでしょう。
何がテーマかは人によって異なります。
もちろん、人類の共通のテーマもあるとは思います。
世界規模で流行る「病気」などは人類共通のテーマの一つでしょう。
自分が何を真に求めているのかを知る為にも、いろんなことが起こってくるのです。
気づく為にいろんなイベントが用意されているわけです。
結婚などもそうです。
大いなる自己から無条件の愛が発露するのかもしれません。
五感すべてが気づきへの道しるべです。
今起こっていることを観じてみると真に求めていることがわかるかもしれません。