ヨガの道を歩むことは、しばしば壮大な旅に喩えられます。その旅の羅針盤となるのが、賢者パタンジャリが編纂した『ヨーガ・スートラ』に記された「アシュタンガ・ヨーガ」、すなわち八つの段階(支則)です。この八支則は、単なる独立したステップではなく、一つひとつが有機的に繋がり、私たちを外側の世界への関わり方から、内なる世界の最も深い次元へと導いてくれる、精緻な地図のようなものです。今回は、その旅路の中でも特に重要な転換点、外的な実践から内的な実践へと橋渡しをするプロセス、すなわちシャウチャ、アーサナ、プラーナーヤーマを経て、プラティヤハーラへと至る道のりを探求しましょう。
旅の始まりは、ヤマ(禁戒)とニヤマ(勧戒)という、日常生活における倫理的な土台作りから始まります。その中でも特に重要なのが、ニヤマの一つである**シャウチャ(清浄)**です。シャウチャは、単に身体を清潔に保つことだけを意味しません。それは、私たちが住まう空間、口にする食物、そして何よりも私たちの思考や言葉を清らかに保つことを含みます。身体と心が一体であるというヨガの根本思想に基づけば、身体の浄化は心の浄化に直結します。清らかな食事は明晰な思考を育み、整理整頓された空間は心の静けさを促します。このシャウチャの実践によって、私たちはまず、これから始まる内なる旅のための「聖なる器」としての自分自身を整えるのです。
次に続くのが、多くの人々が「ヨガ」と聞いて真っ先に思い浮かべる**アーサナ(坐法・ポーズ)**です。しかし、『ヨーガ・スートラ』におけるアーサナの定義は「スティラ・スクハム・アーサナム」、すなわち「快適で、安定した坐法」という非常にシンプルなものです。これは、アーサナの本来の目的が、肉体を鍛えたり柔軟にしたりすること以上に、長時間安定して座り、内側へと意識を向けるための準備であることを示唆しています。アーサナの実践を通して、私たちは身体の緊張や滞りを解放します。身体の節々がほぐれ、エネルギーの通り道がスムーズになるにつれて、私たちの意識は肉体的な不快感から解放され、より微細な内側の感覚へと注意を向ける準備が整います。身体という、最も粗大なレベルでの自己との対話を終え、安定した土台を築くのがアーサナの役割なのです。
そして、安定した身体という土台の上に、私たちは**プラーナーヤーマ(調気法)**を実践します。プラーナとは生命エネルギー、ヤーマとは制御を意味します。つまりプラーナーヤーマとは、呼吸を通して生命エネルギーの流れを意識的にコントロールする技術です。呼吸は、私たちの意識と無意識、身体と心を繋ぐ唯一の架け橋です。普段は無意識に行われている呼吸に意識を向けることで、私たちは自律神経の働きに介入し、心の波立ち(チッタ・ヴリッティ)を鎮めることができます。荒々しい呼吸は荒々しい心を生み、穏やかで深い呼吸は穏やかで静かな心をもたらします。プラーナーヤーマは、意識の焦点を、肉体という物質的なレベルから、プラーナというエネルギー的なレベルへとシフトさせる、決定的なステップなのです。
さあ、ここまで旅を進めてきた私たちは、いよいよ内なる世界の扉の前に立ちます。清められた身体(シャウチャ)は静かに坐し(アーサナ)、エネルギーの流れ(プラーナ)は呼吸によって穏やかに整えられています。この時、ごく自然に訪れるのが、八支則の第五段階、**プラティヤハーラ(制感)**です。プラティヤハーラとは、外側に向かって常に情報を収集しようとする五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の働きを、内側へと引き込むことです。これは、感覚を無理やり遮断するのではありません。女王蜂が巣に戻ると、働き蜂たちが自然にその後を追うように、心が内側の静けさに深く没入する時、感覚器官は自ずとその追従をやめ、内側へと帰還するのです。
シャウチャ、アーサナ、プラーナーヤーマという外的な実践(バヒランガ・ヨーガ)は、すべてこのプラティヤハーラという転換点を迎えるための、丁寧で緻密な準備だったのです。浄化されていない身体では不快感に苛まれ、安定しない身体では落ち着かず、乱れた呼吸では心が騒がしいまま。これでは、感覚を内側に向けることなど到底できません。しかし、これまでの段階を誠実に実践してきた者にとって、プラティヤハーラは努力して達成するものではなく、熟した果実が木から落ちるように、ごく自然に訪れる境地となります。
このプラティヤハーラという橋を渡ることで、私たちのヨガの旅は、ダーラナー(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)という、純粋な意識の探求(アンタランガ・ヨーガ)へと深化していきます。外の世界に振り回される生き方から、内なる世界の主人として生きる道への、壮大なシフトがここから始まるのです。


