朝、目を覚ましてから眠りにつくまで、私たちは「現実」と呼ぶものの中で生きています。それは、住んでいる部屋の様子であり、銀行口座の残高であり、鏡に映る自分の顔つきであり、職場や家庭での人間関係でもあります。私たちはしばしば、この「現実」を、自分とは無関係に、あるいは自分の外側で固定的に存在している、揺るがしがたいものだと感じています。そして、その現実が気に入らないものであればあるほど、私たちは無力感に苛まれ、不満を募らせることになります。
しかし、カルマの法則というレンズを通して世界を眺めるとき、この「現実」の様相は一変します。それは、外側から与えられた固定的なものではなく、あなたの内側から、過去のあなた自身の行為によって投影され、創造された、いわば「映像」のようなものであることが見えてくるのです。今日のあなたの現実は、過去のあなたが蒔いてきた、無数の種が結実した姿に他なりません。
これは、映画の上映に例えるとわかりやすいかもしれません。今、あなたの目の前のスクリーンに映し出されている映像が「今日の現実」です。もしその映画が、悲劇的で退屈なものだったとしても、スクリーンに向かって文句を言っても何も変わりません。なぜなら、問題はスクリーンにあるのではなく、映写室で回っているフィルムにあるからです。そして、そのフィルムとは、あなたの過去の行為、つまり思考、言葉、そして行動の集積なのです。
例えば、あなたが今、人間関係の孤立感に悩んでいるとしましょう。それは、過去のあなたが、他者への無関心や批判的な思考、心を閉ざした態度、コミュニケーションを避ける行動といった「フィルム」を、無意識のうちに回し続けてきた結果かもしれません。あなたが経済的な欠乏感に苦しんでいるとしたら、それは過去のあなたが、「お金は汚いものだ」「自分には価値がない」といった思考や、豊かさを受け取ることへの罪悪感、分かち合うことへの恐れといった「フィルム」をセットしていた可能性があります。
この視点に立つことは、時に痛みを伴うかもしれません。自分の望まない現実が、他ならぬ自分自身の過去の選択の結果であると認めることは、プライドを傷つけ、自己嫌悪に陥らせる危険性もはらんでいます。しかし、ここを通過しなければ、真の変容は始まりません。なぜなら、自分の現実の原因が自分自身にあると認められて初めて、私たちはその現実を変える力を、自分の内に見出すことができるからです。映写技師が自分であることに気づいて初めて、フィルムを入れ替えるという選択肢が生まれるのです。
この理解は、私たちを被害者意識から解放します。「会社が悪い」「社会が悪い」「あの人が悪い」と、外側に原因を求めている限り、私たちは自分の人生の操縦桿を他人に明け渡していることになります。しかし、「この現実は、私の過去の行為の反映なのだ」と引き受けた瞬間、私たちは人生の主人公の座を取り戻します。それは、「誰のせいでもない。そして、だからこそ、私には変えることができる」という、静かで力強い宣言です。
あなたの周りを見渡してみてください。あなたの部屋の状態、あなたの身体の状態、あなたの心の中の状態。そのすべてが、過去のあなたの物語を、雄弁に語っています。それを、ジャッジすることなく、ただ観察してみてください。それは、あなたを責めるための証拠物件ではありません。それは、あなたがこれまでどんなフィルムを回してきたかを教えてくれる、貴重な手がかりなのです。
今日の現実は、過去の行為の結果である。この法則を深く受け入れることは、過去への後悔のためではありません。それは、未来を創造する力を、今この瞬間の自分自身の手に取り戻すための、最も重要な第一歩なのです。スクリーンに映る映像に一喜一憂する観客であることをやめ、自らの意志でフィルムを選び、人生という映画を創造していく、監督兼映写技師になる。そのための招待状が、あなたの目の前にある「今日の現実」なのです。


