ヤマ(禁戒)の三番目に位置する「アステーヤ(Asteya)」は、文字通りには「盗まないこと」を意味します。私たちはこの言葉を聞くと、まず他人の財産を盗むといった法的な犯罪を思い浮かべるでしょう。しかし、ヨガ哲学におけるアステーヤの射程は、それよりも遥かに広く、微細な領域にまで及んでいます。それは、目に見える物質だけでなく、目に見えない価値、とりわけ「時間」と「エネルギー」という、誰にとっても有限でかけがえのない資源を奪ってはならない、という深い戒めです。
考えてみてください。私たちは日常の中で、いかに無自覚な「泥棒」になっていることでしょう。約束の時間に遅れることは、相手の貴重な人生の時間を盗む行為ではないでしょうか。要領を得ない長電話や、目的の曖昧な会議は、関わる人すべての時間を奪っています。時間は、一度失われたら二度と取り戻すことのできない、最も神聖な財産です。他者の時間を尊重することは、アステーヤの基本的な実践です。
さらに微細なレベルで、私たちは他者の「エネルギー」を盗んではいないでしょうか。自分の不平不満や愚痴を一方的に誰かにぶつけ続けることは、相手の生命エネルギーを吸い取る行為に他なりません。心理学で言う「エナジーヴァンパイア」とは、まさにこのアステーヤに反する存在です。過剰な承認欲求や依存心で相手を疲弊させることもまた、エネルギーの搾取と言えるでしょう。
アステーヤの教えは、私たちに「奪う者」から「与える者」への変容を促します。その根底には、宇宙の豊かさに対する深い信頼があります。なぜ私たちは盗むのでしょうか。それは、心のどこかで「自分には足りない」「このままでは損をする」という欠乏感、すなわち「不足の意識」に苛まれているからです。この欠乏感が、他者が持つものを羨み、欲し、奪おうとする衝動を生み出します。
しかし、ヨガの叡智は、真の豊かさは「与える」ことによってこそ生まれると説きます。これはカルマヨガの精神そのものです。見返りを期待せず、自分の持つものを惜しみなく分かち合う。それは、お金や物である必要はありません。笑顔、優しい言葉、励ましの眼差し、誰かの話を真剣に聴く時間、自分の知識やスキル。これらすべてが、素晴らしい贈り物となり得ます。
引き寄せの法則は、この「不足の意識」と「充足の意識」に敏感に反応します。他者から奪おうとする意識は、「私は持っていない」という欠乏の波動を宇宙に放ちます。その結果、宇宙は「はい、あなたは持っていないのですね」と確認し、さらなる欠乏の現実を引き寄せるのです。
一方で、与える意識は、「私には分かち合うほど豊かにある」という充足の波動を発信します。宇宙の法則において、真空は存在を許されません。あなたが何かを与えることによって生じたスペースには、必ずや新しい豊かさが流れ込んできます。与える行為は、豊かさのエネルギーを自らの内に循環させる、最も確実な方法なのです。
今日一日、自分が他者から何を奪っていないか、そして何を与えられているかに意識を向けてみましょう。あなたの存在そのものが、周囲の人々にとって、時間を奪い、エネルギーを消耗させるものではなく、喜びやインスピレーションを与える源泉となった時。その時、あなたはもはや「盗む」必要などどこにもない、無限の豊かさの中心に立っていることに気づくでしょう。


