第2講:「モノ」ではなく「意味」を買う私たち – ブランド品と「素敵な暮らし」の正体

ヨガ外論・歴史

少し想像してみてください。あなたは今、カフェにいます。目の前には、一杯のコーヒー。そのコーヒーが、例えばスターバックスのカップに入っているとしましょう。あなたがそこで購入したのは、焙煎されたコーヒー豆から抽出された、カフェインを含む温かい液体、という「モノ」だけでしょうか。

おそらく、答えは「ノー」でしょう。

あなたが支払った金額の中には、あの緑色のロゴ、洗練された店内、無料のWi-Fi、そして何よりも「スターバックスでMacBookを開いて過ごす、創造的で都会的な私」というイメージ、あるいは「友人との会話を楽しむ、充実した時間」といった、目に見えない価値が含まれているはずです。スターバックスもそれを売りにしていると公言しております。私たちはコーヒーという液体を消費すると同時に、それが象徴する特定の「意味」や「物語」を消費しているのです。

私たちは物語も消費しているのです。

 

現代消費社会は物語を消費する

これが、ジャン・ボードリヤールが鋭く指摘した、現代消費社会の最も基本的な構造です。彼は、モノが持つ価値を二つに分けました。一つは、そのモノが持つ本来の機能的な価値、これを「使用価値」と呼びます。コーヒーなら「喉の渇きを潤し、眠気を覚ます」といった価値です。もう一つは、そのモノが社会的な文脈の中で示す意味、これを「記号価値」と呼びます。スターバックスのコーヒーなら、先ほど述べたような「都会的」「洗練」といったイメージがそれに当たります。

かつて、モノがまだ十分に生産されていなかった時代、人々が重視していたのは主に「使用価値」でした。この服は丈夫か、この道具は便利か、この食べ物は栄養があるか、といったことです。しかし、産業が発達し、市場にモノが溢れかえるようになると、状況は一変します。どのメーカーの車も安全に走るし、どのメーカーの洗剤も汚れを落とす。機能や品質だけでは、もはや製品を差別化することが難しくなってきたのです。

 

企業が売り始めたのは記号価値

そこで企業が売り始めたのが、まさに「記号価値」でした。製品そのものではなく、製品が持つ「イメージ」や「物語」を売る戦略です。高級ブランドのバッグを考えてみれば、その構造はより鮮明になるでしょう。そのバッグは、確かに荷物を入れるという「使用価値」を持っています。しかし、その価格の大部分は、ロゴが象徴する「成功」「富」「センスの良さ」といった「記号価値」に対して支払われているのです。所有者はそのバッグを持つことで、「私はこういうステータスを持つ人間です」というメッセージを、言葉を発することなく周囲に伝えることができます。

つまり、現代社会における消費とは、単なるモノの交換や使用ではなく、記号を通じたコミュニケーション行為なのです。私たちはモノを買うことで、「自分とは何者か」を定義し、他者に伝え、社会の中に自らを位置づけています。オーガニック食品を選ぶことは、「私は健康や環境に配慮する、意識の高い人間です」という記号を発信することですし、「ミニマリスト」として最低限のモノで暮らすことさえ、「私はモノに縛られない、精神的な豊かさを重視する人間です」という、極めて強力な記号となりうるのです。

 

記号価値とは虚構

この「記号」のシステムは、私たちの生活の隅々にまで浸透しています。インスタグラムで友人が投稿する「#丁寧な暮らし」の写真。それは、美しい食器に盛られた手料理という「モノ」を通して、「私は心豊かで、充実した生活を送っている」という「記号」を生産し、消費する行為に他なりません。私たちはそれを見て「いいね!」を押すことで、その記号の価値を承認し、同時に「自分もそうありたい」という欲望を掻き立てられます。

さて、ここでヨガの視点を取り入れてみましょう。

ヨガの実践、特にアーサナ(ポーズ)は、この記号のベールを一枚一枚剥ぎ取っていくような作業と言えるかもしれません。マットの上でポーズをとるとき、私たちは「他者からどう見られるか」という記号の次元から強制的に引き離され、「自分の身体が今、どう感じているか」という、ごまかしのきかない実感の次元へと引き戻されます。

例えば、トリコナーサナ(三角のポーズ)をとっているとします。その時、重要なのは、鏡に映る姿が雑誌のモデルのように美しいかどうかではありません。そんな浅はかな世界観でヨガをやっていません。

足の裏で大地を踏みしめる感覚、体側が心地よく伸びる感覚、呼吸が深く入っていく感覚。それだけが、そこにある唯一のリアルです。虚構ではなくリアル。身体は、「私は洗練されている」とか「私は意識が高い」などという記号を語りません。ただ、「今、ここに在る」という事実だけを、静かに、しかし力強く伝えてくるのです。

この身体感覚という原点に立ち返ることで、私たちは日常の消費行動に対しても、新しい問いを立てることができるようになります。「私は本当にこのコーヒーが飲みたいのか、それとも『スタバにいる私』という記号が欲しいだけなのか?」「この服は、私の肌が本当に喜ぶものなのか、それとも『お洒落な私』を演出するための道具なのか?」

 

消費社会を否定するのではなく、消費社会から目覚める

これは、消費を全否定するということではありません。ただ、自分が今、何を消費しようとしているのか、その本質を自覚的になる、ということです。記号のゲームに無自覚に参加し続けるのか、それとも自分の身体の実感に基づいて、主体的にモノと関わっていくのか。その小さな意識の変革こそが、消費社会の波に飲み込まれず、自分自身の生を生きるための、第一歩となるのです。

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。