第7講:記号から「感覚」へ – 嘘をつけない身体というリアリティ

ヨガ外論・歴史

第1部で私たちは、現代社会が「記号」の海であることを学びました。ブランドのロゴ、SNSの「いいね!」、ライフスタイルのイメージ。これら記号は、私たちの欲望を形作り、行動を規定します。しかし、記号にはある共通した特徴があります。それは、本質的に「抽象的」で「相対的」であるということです。

例えば、「高級」という記号。これは、他のものとの比較、つまり「高級でないもの」との相対的な関係性の中でしか意味を持ちません。また、その価値は時代や文化によって絶えず変化します。記号の世界は、他者からの承認や社会的な合意によって支えられている、いわば借り物のリアリティです。その地盤は、常に揺らいでいます。

この、どこか宙に浮いたような記号の世界に対して、ヨガが私たちに差し出すもの、それは「感覚」という、極めて具体的で、個人的で、そして疑いようのないリアリティです。

ここで言う「感覚」とは、単に五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)だけを指すのではありません。ヨガの実践が鋭敏にしてくれるのは、むしろ身体の「内側」で生じている感覚です。例えば、目を閉じていても自分の手足がどこにあるかが分かる「固有受容覚」や、心臓の鼓動、呼吸、内臓の動きなどを感じる「内受容容覚」といった、より微細な感覚です。

これらの「感覚」は、記号とは全く異なる性質を持っています。

第一に、感覚は常に「今、ここ」にしか存在しません。あなたは、昨日の足の裏の感触を、今この瞬間に感じることはできません。明日感じるであろう筋肉の伸びを、前借りすることも不可能です。感覚は、私たちを過去への後悔や未来への不安といった思考の迷宮から引き離し、現在という唯一のリアルな時間へと、有無を言わさず引き戻す力を持っています。

第二に、感覚は「嘘をつけない」ということです。頭では「私はリラックスしている」と思い込もうとしても、身体が緊張でこわばっていれば、その感覚はごまかすことができません。「この仕事は楽しい」と自分に言い聞かせても、デスクに向かうたびに胃がキリキリと痛むなら、身体は正直に「ノー」というサインを送っているのです。記号が「こう見られたい」「こうあるべきだ」という社会的な建前を映し出す鏡であるとすれば、感覚は「私は今、本当はどう感じているのか」という、個人的な真実を映し出す鏡と言えるでしょう。

ボードリヤールが描いたハイパーリアルな世界、つまり本物なきイメージが現実を覆い尽くす世界において、この「嘘をつけない感覚」というものは、私たちがリアルなものに触れるための、ほとんど最後の砦と言ってもいいかもしれません。

SNSのタイムラインに流れてくる、完璧に編集された他人の幸福のイメージ(シミュラークル)を見て、心がざわつくとき。私たちは、自分の現実と、他人の「イメージ」を比べて、欠乏感を抱いています。しかし、その瞬間に、自分の身体の内側に意識を向けてみてください。胸のあたりがざわざわする感覚、呼吸が浅くなっている感覚、肩に力が入っている感覚。その感覚こそが、比較や嫉妬という思考の奥にある、あなた自身のリアルな体験です。その感覚にただ気づき、共にいてあげること。それだけで、私たちはイメージの洪水に飲み込まれることから、自分を守ることができるのです。

私たちの文化には、古くからこの身体感覚の知性を言い表す言葉があります。「腹の底で感じる」「腑に落ちる」「肌で知る」。これらはすべて、論理的な思考(頭)とは別の次元で、身体が物事の本質を直感的に理解する能力があることを示唆しています。現代の神経科学の研究でも、腸が「第二の脳」と呼ばれ、膨大な神経細胞ネットワークを持ち、感情や直感に深く関わっていることが分かってきています。東洋思想が何千年も前から「丹田」や「ハラ」を重視してきたのは、この身体知を経験的に理解していたからに他なりません。

ヨガの実践は、この忘れられた身体知を呼び覚まし、その解像度を高めていくための、極めて体系的なトレーニングです。マットの上で、私たちは思考という名の支配者から、一時的に身体を解放します。そして、身体が本来持っている知性に、判断を委ねてみるのです。「どこまで曲げれば心地よく、どこから先が痛みになるのか」「どの角度が最も安定し、力が大地に伝わるのか」。その答えは、インストラクターの言葉や、頭の中の知識にあるのではありません。全ては、あなたの身体の内なる感覚だけが知っています。

この訓練を続けることで、私たちはマットの外、つまり日常生活においても、この身体感覚という羅針盤を頼りにすることができるようになります。新しい仕事のオファーを受けたとき、論理的な損得勘定(記号)だけでなく、自分の身体がどう反応するか(感覚)に注意を払ってみる。「胸がワクワクして開く感じがするか、それとも胃のあたりが重く、縮こまる感じがするか」。身体の反応は、しばしば私たちの本心、つまり思考のフィルターがかかる前の、生の欲求を教えてくれます。

消費社会は、私たちに「外側」の記号に反応するように絶えず訓練します。流行、他者の評価、ブランドイメージ。それらに従うことで、私たちは社会的な承認を得られるかもしれませんが、代償として自分自身の本当の感覚を見失っていきます。

ヨガは、そのベクトルを180度転換させます。外側のノイズから、内側の静寂へ。他者の声から、自分の声へ。記号から、感覚へ。

この静かな移行こそが、情報とイメージの洪水の中で自分を見失わずに、確かなリアリティの上に立脚して生きていくための、最も根本的な実践なのです。身体という嘘をつけない鏡に、あなたは今、何を映し出しますか。

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。