東京の原宿や表参道という活気ある街で、「都会で覚醒すること」をテーマにヨガや瞑想のスタジオを開いています。日々、様々なモノや情報が行き交うこの場所で生活していると、ふと「買い物」という行為の本質について考えさせられることが少なくありません。
今日は「何を買うかも大事だけれど、何処で買い物をするかも大事」というテーマで、ヨガ哲学や東洋思想の視点を交えながらお話ししていきますね。
【なぜ「どこで買うか」が重要なのですか?】
この問いに対して端的な答えをお伝えするならば、「買い物とは単なる物質の獲得ではなく、自分の生命エネルギーとお金の交換であり、未来の社会に対する投票行動だから」となります。
私たちは無意識のうちに、お金を支払う先の世界観やエネルギーを自分の中に取り込んでいるのです。そのため、どこで誰から買うかという選択は、あなた自身の心身の状態や、これから生きていく未来の環境を創り出す重要な要素になってきます。
【歴史的背景から読み解く「買い物」と東洋思想】
この「買い物と場所」の関係を深く理解するために、東洋思想の歴史的背景を見てみましょう。古代インドのヨガ哲学には「カルマ(業:ごう)」という専門用語があります。
カルマとは、原因と結果の法則、つまり「自分の行った行為が、いずれ自分に返ってくる」という宇宙の摂理を意味する言葉です。
歴史を振り返ると、かつて人々は自分の住む集落や顔の見える関係性のなかで、物々交換や商いを行っていました。そこには「誰がどんな思いで作ったのか」という思想的・人間的な背景が常に存在していたわけです。しかし、近代以降の資本主義社会やグローバリゼーションの波により、私たちは生産者や販売場所の顔を見失いがちになってしまいました。
ヨガでは、万物に宿る生命エネルギーのことを「プラーナ」と呼びます。丁寧に作られ、想いの込められた空間で販売されている物には、豊かで清らかなプラーナが宿っているものです。
逆に、ただ利益だけを追求した場所や、人々が疲弊して働いているような環境で買われた物からは、そのようなエネルギーを感じることは難しいでしょう。買い物をする場所を選ぶことは、どのようなプラーナを自分の人生に迎え入れるかという選択に他ならないのですね。
【ミニマリズムの視点と一般的な常識の罠】
ここでもう一つ大切なのが、ミニマリズムの思想を取り入れることです。ミニマリズムとは、自分にとって本当に必要なものだけを見極め、心豊かな空間を保つ生き方を指す専門用語になります。
物をむやみに増やさないミニマリスト的視点に立つと、ひとつひとつの買い物が非常に特別な意味を持つようになるはずです。
一般的な常識では、「同じ商品なら、どこで買っても同じであり、1円でも安いところで買うのが賢い消費者である」と考えられがちですよね。しかし、その常識には少し疑いの目を向けてみるべきでしょう。
「安いから」「便利だから」という理由だけで巨大なオンラインショップを利用するのではなく、自分が心から共感できる理念を持つお店や、地元で頑張っている個人店で買うこと。それは、自分の価値観を大切に扱うことと直結しているのです。
同じ本を一冊買うにしても、無機質な倉庫から自動的に送られてくる本と、店主のこだわりが詰まった小さな書店で手渡される本とでは、受け取るものが違います。手にした時の心の温かさや、その本から受け取るインスピレーションが全く異なるはずです。
何を買うかが「物質的な欲求」を満たす行為だとしたら、どこで買うかは「精神的な充足」をもたらす行為だと言えるのではないでしょうか。
【終わりに:生命エネルギーの循環】
お金は、私たちが日々の時間を使い、働いて得た生命エネルギーの結晶です。その大切なエネルギーを、自分が応援したいと思える場所、心が心地よいと感じる場所に循環させていくこと。
そうすることで、自分自身の内側だけでなく、社会全体が少しずつ豊かな方向へと変化していくと信じています。
EngawaYogaで開催しているENQAN(身体を動かすヨガ)やSIQAN(日本一簡単な瞑想会)では、自分自身の内側に静かに意識を向けていきます。自分の心が何に対して心地よさを感じ、何に対して違和感を覚えるのか、その微細な感覚を研ぎ澄ませていく訓練とも言えるでしょう。
次にお金を使うとき、ふと立ち止まって「私はこのお店のエネルギーを受け取りたいだろうか」と自分に問いかけてみてください。
何を買うかという物質の選択から、どこで買うかというエネルギーの選択へ。その小さな意識の変化が、あなたの日常をより深く、美しいものに変えていくはずです。




