新しいことに取り組むと見えてくるものがあります。(浮気ばかりはダメですよ)
日常の中で新しいことに取り組んでいると、様々な発見に出会うものです。
中でも興味深いのは、自分の「得手不得手」が未だに色んな場面でひょっこりと顔を出してくるという事実。
皆さんも、そういったご経験をお持ちではないでしょうか。
新しい環境でパフォーマンスを最大限に引き出すためには、何が必要になるのか。
結論から申し上げますと、自分の力が発揮できる条件と、逆に発揮できない条件を「明らめる(諦観する)」ことだと私は考えています。
得手不得手とパフォーマンスの関係性
皆さんは、ご自分がどんな条件やインプット、あるいはどのような舞台が与えられると、一番の力を発揮できるか把握されていますか。
反対に、どのような条件だと力が発揮できないのか。 実は、ここを正確に知っておくことが非常に大切になってきます。
たとえ非常に得意な分野であったとしても、環境や条件次第でパフォーマンスは大きく低下してしまうもの。
この「発揮できない条件」を客観的に見極めておくだけで、物事への取り組み方は劇的に変わっていくはずです。
ヨガ哲学には「スヴァディヤーヤ(自己探求)」という教えがあります。
スヴァディヤーヤとは、単に古代の経典を読むだけでなく、自分自身の内面や行動の傾向を深く観察し、学びを深めること。
海外の研究やビジネス心理学における「Self-awareness(自己認識)」の分野でも、自分が成功する条件を知ることと同じくらい、自分が失敗する条件を知ることがパフォーマンス向上に直結すると説かれています。
東洋においても数千年も前から、自己を観察し続けることが心身の調和をもたらすと説かれてきました。
自分の得手不得手を静かに見つめる時間は、まさにこのスヴァディヤーヤの実践と言えるでしょう。
新しい環境への向き合い方と東洋思想
私たちは時折、意識的に新しい場面へと向かうことがあります。 私自身はといえば、新しいことを始めるのに少し時間がかかるタイプ。
誰しも似たような部分があるかもしれませんが、新しい環境や初対面のメンバーの前で、何かを積極的に披露していくのはあまり得意ではありません。
歴史的な思想背景をたどると、古代中国の老荘思想に「無為自然(むいしぜん)」という考え方が存在します。
無為自然とは、作為や無理な働きかけを捨てて、ありのままの自然な状態で生きること。
新しい環境で無理に自分を奮い立たせたり、不得手を隠して得意なふりをしたりするのではなく、そのままの自分を受け入れていくのが大切なポイント。
仏教における「諦観(ていかん)」という言葉も、現代では「諦める」というネガティブな意味合いで使われがちですが、本来は事物の本質をはっきりと「明らめる」という意味合いを持っており、東洋の深い叡智を感じさせる言葉といえるでしょう。
自分はスロースターターであると明らめることで、不要なプレッシャーを手放せるようになりますね。
いきなり質問できる人の凄さとは
そうした新しい場所へ赴いたとき、同じような境遇の方がいらっしゃることがあります。
その方が、その場ですぐに的確な質問を投げかけているのを目にすると、純粋に凄いと感じますよね。
なぜなら、新しい環境で質問をする行為は、自分の「分からない」という状態をあっさりと受け入れ、周囲に自己を開示できている証拠だから。
昨今よく耳にする「心理的安全性」という土台を、他人に依存するのではなく、自分自身の内側にしっかりと確立できている状態と言えます。
分からないことをそのまま口にできる姿は、余計なプライドやエゴが削ぎ落とされた、ミニマリズムの極致のような振る舞いにも見えます。
心に余白(スペース)があるからこそ、新しい風をスッと取り込むことができる。
不要な自意識を減らし、身軽になっているからこそ、即座に動けるのだと思います。
ミニマリズムの視点からこれからのことを考える
自分の得手不得手を知ることは、決してご自身の可能性を制限することではありません。
むしろ、無駄なエネルギーの消費を減らし、最も輝ける場所を見つけるための確かなコンパスになります。
何かを「増やす」のではなく、不要な力みを「減らす」こと。 自分が輝ける舞台を整え、不得手な場面では無理をせず、時には素直に他者へ質問してみる。
そのようにして執着を手放していけば、自ずと波動も軽くなっていきます。
皆様も、ご自身の得手不得手を改めて見つめ直し、これからの働き方や生き方をデザインしてみてはいかがでしょうか。
今日も重たいものを手放して、身軽な一日を過ごしていきましょう。




