ヨガやENQANをしていくことで健全になっていくのが一つの指標だと観じる。
いただいたこのテーマについて、少し書いてみます。
結論から申し上げますと、日々のプラクティスを通じて心身が「軽く」なり、本来の自分に還っていくプロセスそのものが、私たちが今の現在地を知るための大切な指標になります。
都会の喧騒の中で、私たちは常に何かを「足す」ことが求められがちです。
もっと健康に、もっと成果を、もっと正しく。
しかし、そうやって外側から観念を詰め込むほどに、私たちの身体は重くなり、息苦しさを抱えてしまうのではないでしょうか。
ヨガや瞑想が教えてくれるのは、その真逆のアプローチに他なりません。
ENQANとは何か
EngawaYogaで提供している「ENQAN(エンカン)」は、アーサナ(ヨガのポーズ)に特化した独自のメソッドです。太陽礼拝から始まる怒涛のシークエンスや、逆転・後屈のポーズを通じて、徹底的に身体を動かしていきます。
このメソッドの目的は、筋肉を力ずくで鍛えたりコントロールしたりすることではありません。
身体を極限まで動かすことで、無意識のうちに握りしめていた「力み」や「思考のクセ」や「頑なさ」を手放し、究極的にはですが「軽い身体」を手に入れることなのです。
身体が本来の軽さを取り戻すにつれて、心もまた自由になり、それが「健全さ」という実感として立ち現れてきます。
ミニマリズムと引き算の実践 現代の「足りないものを補う」という常識から離れ、私たちは「減らす・削ぎ落とす」というミニマリズムの思想を大切にしています。
マットの上に立ったとき、「隣の人より綺麗なポーズをとらなければ」と焦る必要はありません。
今日の自分の身体と正直に向き合い、ただ不要な緊張を抜いていく。作為を手放したとき、もともとあなたの中に備わっていた豊かな生命力が自然と溢れ出してくるものですね。
健全さとは、どこか遠くから獲得するものではなく、背負った荷物を下ろした後に残る「今のあなたのままでいい」という深い信頼感から生まれます。
東洋思想が教える健全の背景 このような身体と心の捉え方は、古代から東洋で培われてきた深い思想の歴史に根ざしていると考えております。
基盤となるのは「心身一如(しんしんいちにょ)」という考え方です。東洋思想において、心と身体は切り離せない一つの連続した働きとして捉えられてきました。
道玄禅師さんも心身脱落とも申しております。
頭(知性)で身体を支配しようとする近代的な二元論を離れ、ENQANで身体から直接アプローチをかけるのは、身体の余白がそのまま心の静寂に繋がるからです。
また、老子が説いた「無為自然(むいしぜん)」の哲学も重要な鍵となります。無為自然とは、自我による無理な作為を捨て、大いなる自然の理法に身を委ねる境地を指す言葉です。「正しくあらねばならない」という修行のような深刻さを手放し、自然体でいることこそが、本質的な健全さへの道標となるでしょう。(もちろん、現実的には難易度も高く理想論になってしまうこともありますが)
さらに仏教の視点からは「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という概念をご紹介します。
これは、何かの利益や効率のためではなく、その行為自体を純粋な遊びとして楽しむ自由なあり方のことです。
バガヴァッド・ギータにおける、「結果に執着せず、行為に集中せよ」という教えにも通じるものです。
深刻になっているとき、筋肉は必ず硬直してしまいます。遊び心を持ち、フワッと力が抜けたとき、身体は驚くほどの軽さと可能性を発揮し始めるのです。
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終わりに:淡々と続けることの美しさ
ヨガやENQANを通じて健全さを育むために、特別な魔法は必要ありません。ただ淡々と、日々のプラクティスを継続していくことが何よりの近道になります。
「変わらなきゃ」と自分を追い詰める思考を、少しだけお休みしてみませんか。マットの上でただ自分の現在地を観じる。その静かで無邪気な時間の積み重ねが、気づけばあなたを本来の健全な状態へと導いてくれるはずです。





