ヨガを推奨しております。
しかし、真面目にヨガに取り組めば取り組むほど、ある「壁」にぶつかることがあります。
それは、先生や流派、あるいは書物によって、言っていることが真逆(矛盾)に聞こえるという現象です。
ある先生は言います。
「限界を超えて!もっと強く、もっと深くポーズに入って!」
また別の先生は言います。
「頑張らないで。力を抜いて、ありのままを受け入れて。」
ある本にはこう書いてあります。
「思考をコントロールし、一点に集中せよ(ダラーナ)。」
別の本にはこうあります。
「コントロールを手放し、すべてを委ねよ(イシュワラ・プラニダーナ)。」
「努力」なのか「放棄」なのか。「集中」なのか「拡散」なのか。
この矛盾したアドバイスのシャワーを浴びて、「結局、どうすればいいの?」と混乱してしまう方も少なくありません。
しかし、結論から申し上げますと、これらはすべて正解なのです。
今日は、なぜヨガのアドバイスは矛盾して聞こえるのか、そのカラクリと、私たちがその矛盾をどう乗り越え(統合し)ていけばよいのかについて、お話ししてみたいと思います。
ステージによって「薬」が変わる
まず理解しておきたいのは、ヨガのアドバイスは「処方箋」だということです。
病状が違えば、処方される薬が違うのと同じです。
例えば、無気力で、体が重く、人生に対して怠惰(タマス的)になっている人に対して、「ありのままでいいよ、頑張らなくていいよ」と言うのは、毒になりかねません。その人をさらに深い眠りへと誘ってしまうからです。
この場合、必要なのは「火(タパス)」です。「動け!規律を守れ!汗をかけ!」という、少しスパルタなアドバイスこそが、その人の目を覚ます良薬となります。
一方で、現代社会の競争に疲れ果て、常に緊張し、完璧主義で自分を追い込みすぎている人(ラジャス的)に対して、「もっと努力しろ!」と言うのは、火に油を注ぐようなものです。
この場合に必要なのは「水」や「風」です。「力を抜いて。結果を手放して。ただ委ねて」というアドバイスが、張り詰めた糸を緩め、本来のバランスを取り戻す助けとなります。
つまり、矛盾して聞こえるのは、その言葉が「今のあなた」に向けられたものか、「過去(あるいは未来)のあなた」に向けられたものかの違いに過ぎないのです。
「あの先生と言っていることが違う」と批判する前に、「今の自分のエネルギー状態には、どちらの薬が必要だろうか?」と自問してみることが大切です。
逆説(パラドックス)こそが真理の姿
さらに深いレベルの話をしましょう。
ヨガを含む東洋の叡智は、しばしば「逆説(パラドックス)」の形をとります。
「最大の努力をした先にしか、完全なる放棄は訪れない」
「自分を極限まで小さくした時、自分が全宇宙だと気づく」
一見、論理的に矛盾しているように見えますが、これは「AかBか」という二元論を超えた世界を指し示しています。
山の頂上を目指す時、東から登る道と、西から登る道は、方向としては「逆」です。
しかし、目指している頂(真理)は同じです。
例えば、瞑想において「集中しろ」という教えと「手放せ」という教え。
これは、自転車に乗る練習に似ています。
最初は意識的にバランスを取り、ペダルを漕ぐことに「集中」しなければなりません。
しかし、一度乗れるようになってしまえば、意識的なコントロールを「手放し」て、風を切る感覚を楽しむことができます。
手放すためには、一度掴まなければならないのです。
矛盾しているのではなく、プロセスの「段階」が違うだけなのです。
現代社会が生む「正解探し」の病
私たちが矛盾に弱いのには、現代社会特有の理由もあります。
それは、私たちが学校教育やビジネスの世界で、「たった一つの正解」を出す訓練ばかり受けてきたからです。
テストには正解があり、効率的なマニュアルがあり、最短ルートがある。
そう信じ込まされているため、ヨガにも「唯一の正しいやり方」があるはずだと期待してしまいます。
しかし、生身の人間である私たちに、万人に適用できる固定されたマニュアルなど存在しません。
昨日の正解が、今日の不正解になることもあります。
体調、季節、年齢、星の配置。あらゆる変数が常に流動しているからです。
スピリチュアルな視点で言えば、この「迷い」さえも、魂の成長に必要なプロセスです。
先生の言うことを鵜呑みにするのではなく、矛盾する教えの間で揺れ動きながら、「自分の内なる羅針盤(サティ)」を育てていくこと。
「先生はこう言ったけど、今日の私の体はこう言っている」
その感覚を信じられるようになることこそが、ヨガのゴール(自立)なのです。
「中道」というダイナミックなバランス
お釈迦様は、苦行(極端な努力)と快楽(極端な放縦)の両方を経験した末に、「中道(ちゅうどう)」という教えに辿り着きました。
これは、単に「足して二で割る」ような中間地点のことではありません。
綱渡りのように、右に傾いたり左に傾いたりしながら、常に微調整を続けてバランスを取り続ける、ダイナミックな状態のことです。
時には厳しく自分を律し(アビヤーサ)、時には優しく結果を手放す(ヴァイラーギャ)。
この両輪を、その時々の状況に合わせて使い分ける柔軟性。
ヨガのアドバイスが矛盾して聞こえるのは、この「中道」という揺れ動くバランスポイントを、ある時は右側から、ある時は左側から指し示しているからに他なりません。
結論:矛盾を楽しめるようになれば本物
ですから、もしヨガのアドバイスで混乱したら、こう思ってください。
「ああ、今は右に振れすぎているから、左に行けと言われているんだな」
あるいは、
「この矛盾こそが、世界が複雑で豊かである証拠だな」
矛盾を排除しようとせず、自分の中で同居させること。
「Aも正しいし、Bも正しい」という広い器を持つこと。
白か黒かではなく、無限のグレーのグラデーションの中に、自分だけの色を見つけること。
それができるようになった時、あなたはもう、外側の誰かのアドバイスを必要としない、あなた自身のマスターになっているはずです。
この縁側では、そんな矛盾だらけの、でも愛おしい人間という存在を、まるごと受け入れていきたいと思っています。
迷ったら、ただ座りましょう。
静寂の中では、すべての矛盾が溶け合い、ひとつの真実に還っていきますから。
ではまた。


