「ヨガ」と「体操」の決定的な違いとは? 形は同じでも、中身は別物であるという話

自己啓発

ヨガを推奨しております。
前回は、現代ヨガのルーツがクリシュナマチャリアという一人の師にあること、そして彼が時代に合わせてヨガの形を進化させたことについてお話ししました。

そこで今回は、さらに一歩踏み込んでみたいと思います。
私たちがマットの上で行っているその動きは、果たして「ヨガ」なのでしょうか?
それとも、単なるストレッチや「体操」なのでしょうか?

外から見れば、両者はとても似ています。
前屈をする、腕を伸ばす、バランスをとる。
写真に撮ってしまえば、ヨガも体操も区別がつかないかもしれません。
しかし、その内側で起きていることは、天と地ほどに異なります。(良し悪しではなく目的が全く異なります)
今日は、目に見えない「ヨガと体操の決定的な境界線」について、静かに紐解いていきましょう。

 

サンスクリット語に見る「ヴィヤーヤーマ」と「ヨガ」

古代インドには、ヨガとは別に、身体を鍛えるための文化が存在しました。
インド伝統のレスリングや武術、あるいは身体操作法などです。
これらはサンスクリット語で「ヴィヤーヤーマ(Vyayama)」と呼ばれます。
日本語に訳すなら「体操」や「運動」、「鍛錬」といった意味合いになります。

ヴィヤーヤーマの目的は明確です。
筋肉を強くし、身体を大きくし、持久力をつけ、外側のパフォーマンスを向上させること。
これは現代のスポーツジムで行うトレーニングと同じベクトルを持っています。

一方で、「ヨガ(Yoga)」の目的はどうでしょうか。
経典『ヨガ・スートラ』の冒頭にはこう書かれています。
「ヨガとは、心の作用を死滅させることである(チッタ・ヴリッティ・ニローダ)」

つまり、ヨガの主役はあくまで「心」なのです。
身体を動かしてはいますが、それは心を静寂へと導くためのプロセスに過ぎません。
もし、私たちがどれだけ難易度の高いポーズをとっていたとしても、心が乱れ、呼吸が浅く、意識が外側の評価に向いているならば、それはヨガの形をした「ヴィヤーヤーマ(体操)」をしているに過ぎないのです。

 

呼吸が主か、従か

ヨガと体操を分ける最も分かりやすい指標、それは「呼吸」の扱いです。

体操やスポーツにおいて、呼吸は動作を補助するものです。
重いものを持ち上げるために息を止める、走るために激しく呼吸する。
あくまで「動き」が主であり、呼吸はそれに従います。

しかし、ヨガではこの主従関係が逆転します。
「呼吸が主であり、動きが従である」のです。

まず、ゆったりとした深い呼吸があります。
その呼吸のリズムという波に乗って、身体が自然と動かされる。
吸う息で背骨が伸びようとするから、腕を上げる。
吐く息で身体が緩もうとするから、前屈が深まる。
あたかも呼吸という指揮者がいて、身体という楽器を演奏しているような感覚です。

動きのために呼吸をするのではなく、呼吸を通すために動く。
この感覚が掴めたとき、あなたのヨガは体操の領域を抜け出し、動く瞑想へと変容し始めます。

 

意識のベクトル:鏡を見るか、内側を見るか

もう一つの違いは、「意識の向かう先」です。

体操的なアプローチでは、意識は「外側の形」に向かいます。
「もっと足を高く上げたい」「鏡に映るポーズを綺麗にしたい」「隣の人より柔らかくありたい」。
そこには常に、比較と競争、そして達成への欲求が存在します。

一方、ヨガ的なアプローチでは、意識は「内側の感覚」に向かいます。
「今、太ももの裏側が伸びていて気持ちいい」「呼吸が背中に入ってきている」「心臓の鼓動が少し速い」。
そこに良い悪いの判断(ジャッジメント)はありません。
ただ、今の自分自身の状態を、客観的に観察している意識があるだけです。

クリシュナマチャリアが教えたヴィンヤサ(動きと呼吸の同調)も、本来は「Nyasa(置く)」+「Vi(特別な方法で)」という意味を持ちます。
つまり、手足を置くこと以上に、「意識を特定の場所に置く」ことが重要視されていたのです。

 

現代ヨガにおける「体操化」の罠

現代のスタジオレッスンでは、どうしても視覚的な情報が優先されがちです。
「正しくポーズをとること」がゴールになってしまうと、私たちは無意識のうちにヨガを「柔軟体操」へと格下げしてしまいます。

身体が硬いことに劣等感を抱いたり、ポーズができないことにストレスを感じたりするのは、ヨガを体操として捉えている証拠かもしれません。
ヨガにおいて、身体の硬さは障害ではありません。
むしろ、硬い方が身体の感覚(痛みや伸び)に気づきやすく、内面への集中を高めやすいという恩恵さえあります。

体操として楽しむことも、もちろん健康には良いことです。
しかし、もしあなたが心の安らぎや、本質的な変化を求めているのなら、一度「形」への執着を手放してみる必要があります。

 

マットの上で、何を感じているか

現代ヨガの父たちが作り上げた美しいシークエンスも、それを行う私たちの意識次第で、ただの体操にもなれば、至高の精神修行にもなります。

大切なのは、「何をしているか(Doing)」ではなく、「どうありたいか(Being)」です。

ポーズは完璧でなくても構いません。
膝が曲がっていても、背中が丸まっていてもいいのです。
その不完全な形の中で、あなたが深く呼吸し、自分の命の音に耳を傾けているなら、それは紛れもなく、古代から続く真正な「ヨガ」です。

次にマットの上に立つときは、少しだけ動きのペースを落とし、呼吸を主役にしてみてください。
体操の時間を終わらせ、ヨガの時間を始めるのです。
その静かな切り替えが、あなたの日常に大きな余白をもたらしてくれるはずです。

ではまた。


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。