過剰さ(モノ、情報、思考、エゴ)」からの解放【ヨガにまつわる話し】

自己啓発

ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが何かを「得る」ためのものではなく、「減らす」ための技術だからです。
現代社会は、とにかく「足す」ことを私たちに求めてきます。
もっと知識を、もっとモノを、もっとお金を、もっとフォロワーを、もっと承認を。
まるで、今のままの自分では「不完全」であるかのように、空いた隙間を埋めることを強要してきます。

しかし、隙間を埋めれば埋めるほど、私たちはなぜか息苦しくなっていきます。
部屋はモノで溢れ、スマホは通知で震え続け、頭の中はタスクと不安でパンク寸前。
これは「豊かさ」なのでしょうか?
それとも、ただの「過剰(Excess)」なのでしょうか。

ヨガは、この過剰な荷物を、一つひとつ丁寧に下ろしていく作業です。
今日は、私たちが知らず知らずのうちに背負い込んでしまった「4つの過剰」と、そこからの解放について、少し静かにお話ししてみたいと思います。

 

モノの過剰:所有という名の重力

「断捨離」という言葉が定着して久しいですが、ヨガには古くから「アパリグラハ(不貪・不所有)」という教えがあります。
これは単に「欲張らない」という道徳的な意味だけではありません。
「所有物は、所有者を縛る」という、エネルギーの法則を説いているのです。

例えば、高価な車を買ったとします。
すると同時に、「傷つけられたくない」「維持費を稼がなければ」「盗まれたらどうしよう」という心配事もセットで手に入れることになります。
モノが増えるということは、そのモノに向けなければならない「意識」や「管理の手間」が増えるということです。
それは、目に見えない鎖となって、私たちの自由な精神を地面へと縛り付けます。

私自身、スーツケース一つで旅をするような身軽な生活をしたことがありますが、あの時の「どこへでも行ける」という感覚は、何物にも代えがたいものでした。
必要最小限のもので暮らすとき、私たちはモノではなく、空間や時間、そして体験そのものを所有できるようになります。
ヨガマット一枚分のスペースがあれば、私たちは世界中どこででも、自分自身と繋がることができるのです。

 

情報の過剰:デジタルの洪水の中で

現代人の一日の情報摂取量は、江戸時代の人の一年分、あるいは一生分とも言われています。
朝起きた瞬間から、SNSのタイムライン、ニュースサイト、メッセージアプリの通知が雪崩のように押し寄せてきます。
しかし、その情報のうち、本当にあなたの人生に必要なものはどれくらいあるでしょうか?

「知らないと損をする」「乗り遅れる」という恐怖が、私たちをスマホの画面に釘付けにします。
しかし、他人のゴシップや、遠い国の悲劇的なニュースを消費し続けることで、私たちの心は摩耗し、感覚は麻痺していきます。
これをヨガでは「感覚の暴走」と捉えます。
外側の世界に感覚が開かれっぱなしになっている状態です。

ヨガの八支則にある「プラティヤハラ(制感)」は、外に向いている感覚のプラグを抜き、内側へと向け直す練習です。
情報を断つ(デジタル・デトックス)時間を持つこと。
それは、情報の洪水から身を守り、自分自身の思考を取り戻すためのシェルターを作ることに他なりません。
圏外になる場所に身を置くことの贅沢さを、私たちはもう一度思い出す必要があるのかもしれません。

 

思考の過剰:脳内のおしゃべりを止める

「考えすぎだよ」と言われたことはありませんか?
私たちは、常に何かを考えています。
過去の失敗を悔やみ、未来の不安をシミュレーションし、他人の言動を深読みする。
この止まらない脳内のおしゃべりを、ヨガでは「チッタ・ヴリッティ(心の作用)」と呼びます。

思考そのものが悪いわけではありません。
問題なのは、思考が暴走し、主人の言うことを聞かなくなっている状態です。
「考えたくないのに、考えてしまう」。これは、思考に乗っ取られている状態です。

瞑想とは、この暴走する思考という車から、そっと降りて、道端に座る行為です。
通り過ぎる思考の車を、ただ眺める。
「ああ、また不安なことを考えているな」「昨日の夕飯のことを思い出しているな」
そうやって客観視(サクシ・バーヴァ)できたとき、私たちは思考と同一化から解放されます。
思考の隙間に、ふと訪れる静寂。
そのスペースにこそ、直感や創造性、そして深い安らぎが宿っています。

 

エゴの過剰:自分という重荷

そして最後に、最も厄介な過剰。それが「エゴ(自我)」です。
「私を見て」「私が正しい」「私は特別だ」「私は被害者だ」
これらはすべてエゴの声です。

SNSでの承認欲求などは、まさにエゴの肥大化の象徴でしょう。
「自分」という存在を大きく見せようとすればするほど、それを守るためのエネルギーが必要になり、批判に対する恐怖も大きくなります。
エゴは、鎧のようなものです。
戦場では身を守ってくれるかもしれませんが、日常生活で常に重い鎧を着ていては、疲弊して動けなくなってしまいます。

ヨガの究極の目的は、このエゴの解体です。
「私」という境界線が溶けて、世界全体と調和していく感覚。
それは、「自分」がいなくなることへの恐怖ではなく、大きな流れの一部であることへの絶対的な安心感です。
「自分」を何とかしようとするのをやめた時、人生は不思議とスムーズに流れ始めます。
肩の荷が下りるとは、文字通り「自分という荷物」を下ろすことなのかもしれません。

 

終わりに:減らすことは、豊かになること

モノ、情報、思考、エゴ。
これらの過剰さを手放していくプロセスは、怖いことのように感じるかもしれません。
今まで自分を支えていた(と思っていた)ものを失うわけですから。

しかし、勇気を出して手放してみると、そこには喪失ではなく、広大な「余白」が広がっていることに気づくでしょう。
縁側に座って、何もしない時間。
ただ風の音を聞き、お茶の香りを味わう時間。
その何もない余白の中にこそ、私たちが本当に求めていた「生の実感」が満ちています。

EngawaYogaは、何かを足しに行く場所ではありません。
あなたが抱えすぎてしまった荷物を、そっと下ろしに来る場所です。
「何もない」ことの贅沢さを、一緒に味わってみませんか。

ではまた。

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。