ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが単なるストレッチではなく、この騒がしい世界で正気を保ち、自分自身の静寂を取り戻すための、極めて実践的なサバイバル術だからです。
私たちは今、人類史上かつてないほどの「過密」の中に生きています。
満員電車、林立するビル群、絶え間ない騒音、そしてスマホから溢れ出す情報の洪水。
東京のような大都市に暮らしていると、「静寂」などというものは、遠い山奥か高級リゾートに行かなければ手に入らない贅沢品のように思えてきます。
しかし、ヨガの教えはこう囁きます。
「静寂は、場所にあるのではない。あなたの内側にあるのだ」と。
むしろ、この過密でノイジーな都市だからこそ、私たちはより深く、より切実に、本物の静寂に出会える可能性を秘めているのです。
今日は、逆説的とも言える「都市における静寂」について、ヨガ本来の知恵を借りながら紐解いていきたいと思います。
もくじ.
逃げ場所のない都市という修行場
現代社会の問題点の一つは、「逃げ場がない」という閉塞感です。
物理的にも精神的にも、私たちは常に何かに囲まれています。
隣人の生活音、街頭ビジョンの広告、SNSでの他人の視線。
常に「オン」であることを強要され、神経は張り詰めっぱなしです。
多くの人は、このストレスから逃れるために、さらに強い刺激を求めます。
アルコール、過食、ギャンブル、あるいはネットフリックスの連続再生。
しかし、それらは一時的な麻酔にはなっても、根本的な解決にはなりません。
刺激で疲れを誤魔化そうとすればするほど、感覚は麻痺し、内なる渇きは増していきます。
昔のヨガ行者(サドゥー)たちは、ヒマラヤの洞窟に籠もりました。
世俗の刺激を遮断するためです。
しかし、現代を生きる私たちには、仕事があり、家族があり、守るべき生活があります。
ヒマラヤに逃げることはできません。
だとしたら、私たちはどうすればいいのでしょうか?
答えは一つ。
「この場所を、ヒマラヤにする」ことです。
この喧騒のど真ん中、逃げ場のない都市生活そのものを、修行の場(アシュラム)と捉え直すのです。
逆説的な静寂:ノイズがあるから静けさが際立つ
「蓮(ハス)は泥より出でて泥に染まらず」という言葉があります。
美しい蓮の花は、清らかな水の中ではなく、泥水の中から茎を伸ばして咲きます。
泥(過密な都市、ノイズ、ストレス)がなければ、あの神聖な花は咲かないのです。
静寂も同じです。
「シーン」とした防音室にいることが、必ずしも内的な静寂を意味しません。
むしろ、外側が騒がしければ騒がしいほど、その対比として、内側の静けさを鮮烈に感じられる瞬間があります。
例えば、スクランブル交差点の真ん中で。
あるいは、満員電車の圧迫感の中で。
ふと、自分の呼吸に意識を向けてみる。
「吸って、吐いて」
そのたった一回の呼吸が、周囲の喧騒と自分との間に、目に見えない膜を作ります。
外の世界は轟音を立てて回っているのに、自分の中心だけは台風の目のように凪いでいる。
この「動中の静」こそが、ヨガが目指す本質的な静寂です。
環境が静かになるのを待っていては、一生静寂は訪れません。
環境がどうであれ、「私が静かである」ことを選択する。
都市の過密さは、そのための絶好のトレーニングマシンなのです。
プラティヤハラ:感覚のシェルターを作る技術
ヨガの八支則に「プラティヤハラ(制感)」という教えがあります。
これは、外に向いている感覚の触手を、亀が手足を甲羅に引っ込めるように、内側に引き込む技術です。
現代人は、感覚の触手が伸び切っています。
「あの広告は何だ?」「あの人の服はどこのブランドだ?」「スマホが鳴った」
視覚、聴覚が常に外側の情報をキャッチしようと過敏になっています。
これが脳疲労の正体です。
プラティヤハラは、この過敏なセンサーの感度を、意図的に下げる練習です。
目を閉じ、耳から入る音を「意味」としてではなく、ただの「振動」として聞く。
車のクラクションも、人の話し声も、ただの音の波として受け流す。
そうやって感覚のシェルターを作ることができれば、私たちはどこにいても、自分だけのサンクチュアリ(聖域)を持つことができます。
都会の中にありながら、異次元のように時間の流れが違う場所。
そこで一度「オフ」になる感覚を身体で覚えれば、スタジオを出て再び雑踏に戻った時も、その静けさを持ち運べるようになります。
スピリチュアルな視点:あなたは「空間」そのものである
少しスピリチュアルな視点をお話ししましょう。
私たちは通常、自分を「この肉体」あるいは「この思考」だと思っています。
だから、肉体が押されれば苦しいし、思考が乱されれば腹が立ちます。
しかし、瞑想を深めていくと、ある気づきが訪れます。
それは、自分は肉体や思考という「物体」ではなく、それらを含んでいる「空間(スペース)」そのものである、という感覚です。
空(そら)を想像してみてください。
空には、黒い雲(ネガティブな感情)もあれば、雷(怒り)もあり、飛行機(騒音)も飛びます。
しかし、空そのものは、それらに影響を受けるでしょうか?
雲がどれだけ黒くても、空が汚れることはありません。
雷がどれだけ鳴り響いても、空が傷つくことはありません。
空はただ、その広大なスペースの中に、すべての現象を許容し、存在させています。
あなたもまた、その「空」のような存在です。
都市の過密さ、人間関係のトラブル、将来への不安。
それらはすべて、あなたの広大な意識という空に浮かぶ、一時的な雲に過ぎません。
「うるさいな」と感じている自分さえも、大きな視点で見れば、雲の一つです。
自分を「雲」だと思っていると、嵐が来れば翻弄されます。
しかし、自分を「空」だと認識すれば、どんな嵐もただ通り過ぎていく現象になります。
この視点の転換(シフト)こそが、究極の静寂への鍵です。
結論:逆境を恩寵に変える
「過密な都市だからこそ、逆説的に静寂」。
それは、単なる強がりや慰めではありません。
困難な環境こそが、私たちの魂を目覚めさせるための最強の触媒になるという、ヨガのリアリズムです。
もしあなたが今、都会の喧騒に疲れ果てているなら、それはチャンスかもしれません。
「外側に安らぎを求めるのはもうやめよう」と、魂が方向転換を促しているサインだからです。
外側がうるさいからこそ、私たちは内側に潜らざるを得ない。
その必然性が、あなたを深い瞑想へと導いてくれます。
電車の中で、オフィスで、カフェで。
いつでもどこでも、目を少し伏せて、呼吸に意識を戻してみてください。
そこには、誰も侵すことのできない、あなただけの広大な静寂が、常に口を開けて待っています。
喧騒を敵とせず、静寂への入り口とする。
そんなタフでしなやかなヨガライフを、この東京で共に実践していきましょう。
ではまた。


