「ヨガ」と聞けば、多くの人々は、しなやかな身体が織りなす美しいポーズ(アーサナ)や、心を静める呼吸法(プラーナーヤーマ)を思い浮かべるでしょう。それらは確かにヨガの重要な側面ですが、もしそれがヨガの全てであると考えるならば、私たちは壮大な山の麓で、その美しい景色に満足してしまっているのかもしれません。ヨガという山の頂には、より広大で、私たちの生き方そのものを変容させるような、深遠な哲学のパノラマが広がっているのです。
その哲学の入り口、いわば登山口に位置するのが、「ヤマ(Yama)」と呼ばれる教えです。これは、ヨガの根本経典である『ヨーガ・スートラ』に記された、悟りへと至る八つの段階(八支則)の、まさに第一歩。日本語では「禁戒」と訳され、私たちが社会や他者、そして自然と調和して生きるための、普遍的な5つの倫理的指針を示しています。
しかし、「禁戒」という言葉は、少し窮屈な印象を与えるかもしれません。「〜してはならない」という禁止事項のリストのように聞こえるからです。ですが、ヤマの本質は、私たちを縛るためのルールではありません。むしろ、不必要な心の摩擦や葛藤から私たちを解放し、内なる平和と自由を獲得するための、極めて実践的な智慧なのです。それは、マットの上だけでなく、日々の暮らしのあらゆる瞬間に活かされるべき、「生きるためのヨガ」そのものと言えるでしょう。
ここでは、その5つのヤマを一つ一つ紐解き、現代を生きる私たちが、どのようにそれを実践していけるのかを探求してみたいと思います。
もくじ.
アヒムサー(Ahimsa):非暴力・非殺生
ヤマの中で最も重要とされ、他のすべての土台となるのがアヒムサーです。これは、単に身体的な暴力を振るわない、というレベルに留まりません。他者を傷つける言葉、批判的な思考、そして自分自身を責める内なる声もまた、アヒムサーに反する行為です。ヨガの実践において、痛みを感じるまで無理にポーズを深めることは、自分への暴力に他なりません。アヒムサーを実践するとは、生きとし生けるもの全てに対し、そして何よりも自分自身に対し、優しさと慈しみの心を持つことです。
日常での実践:SNSで批判的なコメントを書きたくなった時、一呼吸置く。渋滞でイライラした時、その感情をただ観察する。失敗した自分を責めるのではなく、「よく頑張ったね」と労わる。アヒムサーは、私たちの反応を、攻撃から受容へと転換させる修練なのです。
サティヤ(Satya):正直・真実
サティヤは、思考、言葉、行動において、正直であることを説きます。嘘をつかない、誠実である、ということです。真実を語ることは、私たちの内なる世界と外なる世界を一致させ、心に透明性と強さをもたらします。しかし、ヨガの智慧は非常に繊細です。もし、真実を語ることが誰かを不必要に傷つける場合(アヒムサーに反する場合)、そこでは沈黙が最も賢明なサティヤの実践となり得ます。アヒムサーは、常に最優先されるべき指針なのです。
日常での実践:お世辞やその場しのぎの言い訳を避け、誠実な言葉を選ぶ。自分の感情に正直になり、それを適切な形で表現する。約束を守り、信頼を築く。サティヤは、自己との、そして他者との信頼関係を築く礎です。
アステーヤ(Asteya):不盗
アステーヤは、他者のものを盗まない、という教えです。これは、物理的な財産に限りません。他人の時間、アイデア、功績を自分のもののように扱うこともまた、アステーヤに反します。誰かの時間を約束に遅れることで奪ったり、人の話を最後まで聞かずに遮ったりすることも、微細なレベルでの「盗み」と言えるかもしれません。アステーヤは、他者の所有物と境界線を尊重する心です。
日常での実践:借りたものは速やかに、そして感謝と共に返す。会議では人の発言を尊重し、最後まで耳を傾ける。他者のアイデアを引用する際は、敬意を払う。アステーヤは、私たちに「足るを知る」心を育み、他者への尊敬を深めます。
ブラフマチャリヤ(Brahmacharya):禁欲・エネルギーの適切な使用
この教えは、しばしば「禁欲」と訳され、特に性的なエネルギーの制御と関連づけられてきました。しかし、その本質をより広く捉えるならば、「エネルギーの賢明な使用」と解釈することができます。私たちの生命エネルギー(プラーナ)は有限です。それを感覚的な快楽の追求や、無意味なゴシップ、過剰な情報収集といったことに浪費するのではなく、より高い目的、自己の成長や創造的な活動へと向けること。それが、現代におけるブラフマチャリヤの実践です。
日常での実践:目的もなくスマートフォンをスクロールし続ける時間を減らす。暴飲暴食を避け、身体を養う食事を摂る。自分の情熱を注げる活動に時間とエネルギーを投資する。ブラフマチャリヤは、私たちの人生の方向性を定め、エネルギーを集中させるための指針です。
アパリグラハ(Aparigraha):不貪
アパリグラハは、必要以上に所有しない、貪らない、という教えです。私たちはモノを所有することで安心感を得ようとしますが、実際には、所有物は私たちを縛り付け、失うことへの恐怖を生み出します。アパリグラハは、現代のミニマリズムの思想とも深く共鳴します。モノだけでなく、地位や名声、さらには他者からの承認といった、目に見えないものへの執着を手放すことも含まれます。
日常での実践:買い物をするとき、「本当に必要か?」と自問する。使わないものを、感謝して手放す。SNSの「いいね」の数に一喜一憂するのをやめる。アパリグラハは、私たちを所有という呪縛から解放し、真の豊かさは内側にあることを教えてくれます。
ヤマの実践は、一日で完成するものではありません。それは、日々の選択の積み重ねの中にあります。しかし、この5つの指針を心のコンパスとして持つことで、私たちの人生の航海は、より穏やかで、より意味深く、そして間違いなく、より自由なものとなっていくでしょう。


