3.3.7 ディヤーナ:瞑想 – 静寂な心の状態
ヨーガの八支則という階梯を、一歩一歩、ゆっくりと登ってきた私たちは、今、その七合目に立っています。眼下には、ヤマ(禁戒)とニヤマ(勧戒)によって整えられた倫理的な生活の風景が広がり、アーサナ(坐法)によって安定した身体と…
ヨガを学ぶヨーガの八支則という階梯を、一歩一歩、ゆっくりと登ってきた私たちは、今、その七合目に立っています。眼下には、ヤマ(禁戒)とニヤマ(勧戒)によって整えられた倫理的な生活の風景が広がり、アーサナ(坐法)によって安定した身体と…
ヨガを学ぶヨーガの八支則という階梯を、私たちは一歩一歩、登ってきました。社会との関わり方(ヤマ)、自己との向き合い方(ニヤマ)を整え、安定して快適な坐法(アーサナ)を確立し、生命エネルギーの流れである呼吸(プラーナーヤーマ)を調え…
ヨガを学ぶ私たちの生きる現代という時代は、かつて人類が経験したことのないほどの情報と刺激の奔流の中にあります。朝、目覚めた瞬間からスマートフォンが放つ光を浴び、通勤電車では無数の広告と人々の会話、イヤフォンから流れる音楽に身を晒し…
ヨガを学ぶ私たちの生命活動の中で、これほどまでに無意識的でありながら、同時に根源的な営みがあるでしょうか。生まれてから死ぬその瞬間まで、一日におよそ二万回以上も繰り返される呼吸。それは、当たり前すぎて普段は意識の地平線の下に沈んで…
ヨガを学ぶヨーガの八支則(アシュターンガ・ヨーガ)の旅は、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)という、私たちの社会生活や個人の内面における倫理的な土台作りから始まりました。それは、私たちが他者や世界、そして自分自身とどのような関係性を築く…
ヨガを学ぶヨーガの八支則における最初の二つの段階、ヤマとニヤマは、ヨーガという壮大な建築物を支える揺るぎない土台です。前章で探求したヤマが、他者や社会との関わりにおける「すべきでないこと」を定めた禁戒であり、私たちのエネルギーが無…
ヨガを学ぶヨーガの旅は、どこから始まるのでしょうか。多くの人は、静かなスタジオでマットを広げ、心地よい音楽の中で身体を動かす瞬間を思い浮かべるかもしれません。しかし、賢者パタンジャリが編纂したヨーガの根本経典『ヨーガ・スートラ』が…
ヨガを学ぶ私たちの旅は今、ヴェーダの広大な世界から、より実践的な内なる道へと分け入っていきます。神々への賛歌や壮大な宇宙論、そして「汝はそれである」と喝破したウパニシャッドの深遠な哲理。それらの叡智は、私たちの知性を刺激し、存在の…
ヨガを学ぶ現代の都市で「ヨガ」という言葉を聞くと、多くの人々は、美しいポーズをとるフィットネス、ストレスを解消するためのリラクゼーション、あるいは心身の健康を保つためのエクササイズといったイメージを思い浮かべることでしょう。それら…
ヨガを学ぶ現代を生きる私たちにとって、「ヨガ」という言葉は驚くほど身近な存在となりました。朝の光が差し込むスタジオで、あるいは静かな自室のマットの上で、私たちはポーズ(アーサナ)をとり、呼吸を整え、心の静けさを求めます。ヨガはフィ…
ヨガを学ぶウパニシャッドの森、それは静寂に包まれた思索の空間であると同時に、真理をめぐる熱い言葉が交わされる闘議の場でもありました。私たちが「梵我一如」や「輪廻」といった概念に触れるとき、それらが真空から生まれた抽象的な思想ではな…
ヨガを学ぶ私たちの人生は、目に見えない糸によって操られているのでしょうか。日々の選択、出会い、そして訪れる幸運や不運。その一つひとつが、遠い過去からの行為によってあらかじめ定められているのだとしたら、私たちに「自由」は存在するので…
ヨガを学ぶ私たちは、人生という縁側で、時折ふと足を止め、空を流れる雲を眺めるように自らの運命に思いを馳せることがあります。「なぜ、私にだけこんなことが起きるのだろうか」「あの人は、どうしてあんなにも恵まれているのか」。こうした問い…
ヨガを学ぶ私たちの日常に、ふとした瞬間、ある言葉がよぎることがあります。「カルマ」という響きです。良い行いが報われたときには「良いカルマを積んだかな」と微笑み、予期せぬ不運に見舞われれば「これも何かのカルマだろうか」と天を仰ぐ。現…
ヨガを学ぶ私たちの生の旅路は、どこから来て、どこへ向かうのでしょうか。喜びがあり、悲しみがあり、出会いと別れを繰り返しながら、私たちは日々を生きています。しかし、ふとした瞬間に、この繰り返される営みの根底にある、ある種の「ままなら…
ヨガを学ぶ私たちの目の前には、一本の道が伸びています。それは、生という出発点から、死という終着点へ向かう、一度きりの道。現代に生きる私たちは、多かれ少なかれ、そのような直線的な時間感覚の中で生きています。限られた時間の中で、何を成…
ヨガを学ぶ私たちはどこから来て、どこへ行くのでしょうか。この肉体が滅びた後、「私」という意識はどうなるのでしょう。この問いは、人類が言葉を持ち、夜空の星々を見上げて思索を始めた太古の昔から、私たち一人ひとりの心の奥底に響き続けてい…
ヨガを学ぶ「汝自身を知れ(Gnōthi Seauton)」 この言葉は、古代ギリシャ、デルフォイのアポロン神殿の入口に刻まれていたと伝えられ、ソクラテスをはじめとする多くの哲学者たちに深い思索を促した、西洋哲学の源流ともいえる問い…