調和という言葉を使うことがあります。
そのまま調和という意味ですが、その人それぞれの調和があります。
調和のとれた絵とか調和のとれた音楽などありますが、主観的なものとなっています。
わたしは調和を大事にしておりますが、主観的なことではなく、もう少し客観的な意味での調和を大事にしたいと思っています。
自然の仕組みに適った方向が調和の方向だと思っています。
「波動の法則」という書籍を読んで、調和ってとても大切だなと観じました。
こちらです。
波動の法則を大学生のころに読み、瞑想を始めるきっかけになっています。
調和の方向へ決心して進めることが良いと思っているので私は大事にしてます。
感想はこちらにも書いております。
関連記事:波動の法則ですべては始まった【瞑想】
話を戻しまして調和のとれたライフスタイルについて。
調和のとれたライフスタイルはこれだという決まったことがあるわけではないでしょう。
その人それぞれにとっての調和があると思います。
ですが、大きくは各々の調和が、全体の調和になっていくので、結局は大きな方向性としてはみなさんオリジナルな調和の取り組みでも、それはつながってくると思います。
すべてはつながってますからね。
違和感はありますか?
調和のとれたライフスタイルを送るにあたり、まず大事に思うのが「違和感」です。
生活しているときにふと違和感を観じることはありませんか?
ありますよね。
些細なことでは、同僚の雰囲気、電車での空気感、何か選んだときに違うかもしれないと観じるやつ、食べたときにフッと観じる体感的なやつ、などなど。
いろんなところで違和感は発生しております。
その違和感をそのままにせず、もう少し観じてみます。
今、すでに違和感があるの人はその違和感を少し観じてみてください。
どうでしょうか。
違和感の先に違和感の根源がある
もう少し先に違和感の原因のことが直観的にわかったりします。
その原因は相手にあるかもしれませんし、自分にあるかもしれません。
相手であろうと物であろうと違和感を観じているのは私自身です。
違和感はわたしにあります。
原因もわたしにあります。
自分が出したものが自分に戻ってきています。
出したものが入ってきているのです。(良し悪しはおいといて)
違和感を観じる出来事もわたしが原因で引き寄せているのです。
偶然とかたまたまは自然にはありません。
あるのは必然ですから、わたしがその違和感となる出来事や人物を引き寄せています。
そこに必然として理由があるということです。
その違和感の原因を直観的に探ってみます。
ぼぉ〜としながら、何がそれを作っているのか、何がそうさせているのか、と問いかけながら、直観を待ちます。
するとフッと入ってきます。
気づけます。
原因が直観として気づけます。
何かテーマがある人は観じてみてください。
必ず入ってきます。
辛抱強くぼぉ〜と待っていると「あっ」と入ってきます。
直観はいつも入ってきています。
メッセージはいつも届いているのです。
観じとってみてください。
違和感となることをやめていきましょう。
対処していきましょう。
その違和感から調和へと向かっていきましょう。
終わりに:人は成長する
人は成長する生きものです。
ですので、ずっと同じ環境ややり方で調和が保たれないこともあります。(もちろん、調和度は上がっても同じ環境にいることもあります)
自然と変化していくものです。
現状を維持しようとしたり、完璧な環境を作ろうとしたり、今の考えでエゴに囚われて「これが最高だ」と勘違いした取り組みをしないように心がけたいです。
わたしも「これでいいのでは?完璧。これを続ければいい!」などとテンション高く決めつけてしまったことがあります。
そうではなく、素直に謙虚に変化する毎日を最善を尽くしていくだけです。
決まり切ったことがあるのではなく、いつも同じ人がいるのではなく、毎日新しい現実を生きています。
その上で、最善を尽くして調和の方向へと実行できればと思います。
今回の投稿は、「なんだかわからないけど、こういうものが出てきたので書いてみました」という記事でした。
ではでは、また。