ヨガの王様(キング・オブ・アーサナ)と呼ばれるポーズがあります。
それが、シールシャアサナ(頭倒立)です。
多くのヨガ実践者が憧れ、そして多くの人が挫折し、あるいは恐れを抱くポーズでもあります。
現代のヨガスタジオやフィットネスジムでは、安全面を考慮してか、「頭に体重を乗せないで」「肘で押して」と指導されることが多くなりました。
首を守るための配慮として、それは間違いではありません。
しかし、ヨガ本来の教え、そしてエネルギー的な観点から深く掘り下げていくと、「頭でバランスをとる」ことには、単なる逆立ち以上の、深遠な意味が隠されています。
今日は、この王様のポーズの本質について、少し踏み込んでお話ししてみたいと思います。
「考える頭」から「立つ頭」へ
現代社会において、私たちの頭(脳)は常に過重労働を強いられています。
情報の処理、タスクの管理、将来の計画、過去の後悔。
頭は常に「思考する道具」としてフル稼働し、熱を持ち、パンパンに膨れ上がっています。
エネルギー(気)は常に頭部に上がりっぱなしで、いわゆる「頭でっかち」の状態です。
その結果、足元がおろそかになり、地に足がつかない(グラウンディングできていない)不安定な状態を生み出しています。
シールシャアサナで、私たちは文字通り、その頭を地面につけます。
これは物理的な反転であると同時に、意識の反転でもあります。
思考の座である頭を、身体を支える土台として使うのです。
「考える」のをやめて、「立つ」ために使う。
この劇的な役割の転換が、脳内のオーバーヒートを強制的にクールダウンさせます。
頭頂にある「百会(ひゃくえ)」のツボ、ヨガで言えば「サハスラーラ・チャクラ」を大地に直接コネクトする。
それは、溜まりすぎた静電気を大地に逃がすアースのような役割を果たします。
頭でバランスをとるとき、私たちは思考することができません。
バランスをとるという、純粋な「今、ここ」の感覚に集中せざるを得ないからです。
この瞬間、思考のおしゃべりは止まり、深い静寂が訪れます。
これこそが、シールシャアサナが「瞑想的なポーズ」と呼ばれる所以です。
恐怖心というエゴとの対峙
もちろん、逆さまになることには恐怖が伴います。
「首が折れるのではないか」「倒れて怪我をするのではないか」。
この恐怖心こそが、私たちが普段抱えている「コントロールを失うことへの恐れ」の現れです。
私たちは普段、視覚によって世界をコントロールしています。
しかし、逆転のポーズでは、世界がひっくり返り、普段の平衡感覚が通用しなくなります。
このカオス(混沌)の中で、自分を信じてバランスを探る作業。
それは、未知の状況に対する適応力を養うトレーニングでもあります。
壁を使わずに、部屋の真ん中で練習するとき、後ろに倒れるかもしれないというリスクと向き合います。
しかし、倒れる練習(受け身)も含めてのヨガです。
「失敗してはいけない」「完璧でなければならない」というエゴの声を乗り越え、倒れることを許容したとき、不思議と身体は安定し始めます。
頭で立つということは、恐怖心というエゴを克服し、勇気を持って世界を違った角度から見るという宣言なのです。
手放す強化週間を作る
もし、あなたがシールシャアサナに挑戦したい、あるいはもっと深めたいと思うなら、まずは「手放す強化週間」を作ってみることをお勧めします。
逆説的ですが、バランスをとるために必要なのは、筋力よりも「脱力」だからです。
首や肩に入りすぎた力み。
「絶対に成功させるぞ」という野心。
「できないとかっこ悪い」というプライド。
これらはすべて、バランスを崩す重荷になります。
今週一週間は、生活の中でも「手放す」ことを意識してみてください。
余計な荷物をカバンから出す。
言わなくてもいい一言を飲み込む。
寝る前にスマホを見る時間を手放す。
そうやって心身を軽くしていくことが、実は逆転のポーズへの一番の近道となります。
頭の中の荷物が減れば、頭で立つことはもっと容易になるのです。
関連記事:ゆるめば、全ては起こる【瞑想で手放す】
実際にヨガマットを敷いてヨガの練習をする
理屈がわかったら、あとは実践あるのみです。
本を読んでも、動画を見ても、シールシャアサナはできるようになりません。
実際にマットを敷き、自分の身体と対話する時間を持ちましょう。
最初は「ウサギのポーズ」から始めて、頭頂部への刺激に慣れていくのも良いでしょう。
そして、ドルフィンポーズで肩周りの土台を作り、少しずつ足を顔の方へ歩かせていく。
焦る必要はありません。
「足が浮く瞬間」は、自分で作るものではなく、重心が整ったときに「向こうからやってくる」ものです。
その魔法のような浮遊感を味わうために、日々の練習があります。
継続してみる
シールシャアサナは、一朝一夕で習得できるものではありません。
今日できていても、明日はできないかもしれません。
心身のコンディションがダイレクトに反映されるポーズだからです。
だからこそ、継続することに意味があります。
できない日があってもいい。
ただ、マットの上に立ち、挑戦し続けること。
そのプロセスの中で、私たちは自分の身体の微細な変化に気づき、心の揺れ動きを観察する「観照者」としての視点を養っていきます。
継続は力なり、と言いますが、ヨガにおいて継続は「信頼」なり、です。
自分の身体への信頼、生命力への信頼が育っていきます。
終わりに:
頭でバランスをとる。
それは、思考優位の現代社会に対する、静かなるレジスタンス(抵抗)かもしれません。
脳を休ませ、心臓を頭より高い位置に置くことで、私たちは普段とは全く違う血流とエネルギーの循環を生み出します。
視界が逆さまになった世界では、悩み事さえも小さく、違った形に見えるかもしれません。
重力から解放され、空に向かって足が伸びていく感覚。
そのとき、あなたはただの肉体を超えて、天と地をつなぐ一本の柱となります。
恐怖を手放し、思考を手放し、ただその一点でバランスをとる静寂。
その本質的な体験を、ぜひ味わってみてください。
怪我には十分に気をつけながら、しかし大胆に、世界をひっくり返してみましょう。
ではまた。


