Yogaに出会って生活が楽しくなった口です。
こう言う人はたくさんいると思います。
他のスポーツや趣味でもそうでしょう。
これに出会ったおかげで生活が楽しくなった経験がある人はいるでしょう。
特にスポーツやヨガなど身体を動かす種類のものはいいと思います。
ダイレクトに身体くるからです。
ダイレクトにくると心にも作用し、勝手に元気になったりします。
ヨガは特に精神的なことや呼吸法や瞑想法もあるのでより総合的に身体を整えることができます。
精神、肉体、感情と全部を一緒に調整できます。
オススメです。
正直、私の場合はヨガに救われているところもあると思っています。
いわゆる難病や慢性病、精神疾患のようなものが治ったとかではなく、人生の大きな分かれ道でヨガのお陰で良い道を選べたのではないかと思っているのです。
そういった意味では救われたと表現してもいいのかなと。
誰も救われたいと思っていない
結果としてYogaとの出会いは良かったです。
そして、Yogaと出会った1年後にBORN TO YOGに出会います。
この出会いもありがたい出会いとなりました。
BORN TO YOGとの出会いは大きいな分岐点に思います。
全く異なる人生を歩んでいたような気さえ致します。
BORN TO YOGに出会ったお陰でヨガのティーチャーとしてやっていこうと思ったからです。
BTYティーチャーの良いところは自由だけど責任を持つところにあると思います。
これを健全な大人と表現しております。
健全な大人としてヨガを教えていこうというのがBTYティーチャーの特徴に思います。
どんな業界にもいますが、残念ながらそのようになっていないティーチャーもいます。
Yogaでは健全性を取り戻せると感じる
Yogaのアーサナ(Yogaポーズのこと)や精神的な部分での鍛錬は健全性を高めるのに一役買っていると思います。
だからこそ身体を通じてヨガを学ぶというのをBTYは大切にしているようにも観じます。
子供の宿題を親が勝手にやってあげないように、Yogaのポーズも各自で一生懸命に取り組んでもらいます。
なので人によっては「なんで宿題をやってくれないの」と思うことがあるかもしれません。
ですが、そこはやってあげられない。
だって宿題を先生がやっては意味がありませんからね。
他人が代わりに身体を動かしてもその人の身体は何一つ変化することはないでしょう。
そうやって自分自身と向き合う形を通じて健全にもなっていくのだと思います。
ダメな先生は当然ですが生徒の気を惹こうとします。
子供の気を惹こうする安直な先生が学校にもいたことでしょう。
それはいけませんね。
生徒の成長が大事なのですから。
先生が良い評価や評判をもらうのは目的ではありません。
エゴの拡大に邁進しないように
とはいえ、Yogaが楽しくなくなったりしてもいけません。
瞑想がまったくの意味不明な取り組みのままでもいけません。
必要なことは伝えて、見せて、一緒にやってみることが大事に思います。
特にBTYでは「BTYをやるように教えよう」と言います。
学校の先生でいうと、先生自体が学びが楽しいわけで、その楽しい学びしてるそのままで教えるようにするような感覚です。
だから先生がその対象が楽しくないと生徒も楽しいはずがありません。
勘違いする先生
ポーズが上手い人の方が人間として優れていると勘違いする人(先生)が現れたりします。
勘違いして周りの人がチヤホヤするから、その人も自分が凄い人だと勘違いしてエゴが拡大します。
凄い人だと勘違いするくらいで有頂天になるのですから、元々持っている気質もあまりよろしくないと思うのですが。
そもそも皆んな人は素晴らしい存在だと思っています。
実際にそうでしょう。
そういうものです。
お金が稼げることはお金を稼げるということです。
ポーズが上手いのはポーズが上手いということです。
それだけです。
その人の人間的価値を高めたり下げたりするものではないということです。
どうせ人は歳をとりますし。
欲やプライドなどに惑わされることなく淡々とやっていきましょう。
終わりに:もっともっとが身を滅ぼす
「さてと、今日もやりますかね」くらいの軽い気持ちでヨガや瞑想をしております。
正直なところ、重たい気持ちが少々苦手なもので。
でも隠れアスペルガー系なのでハマると止まりません。(脳の病院にも行き確認しました)
アスペルガーについて詳しくはこちらの本を。
ということで軽やかな感覚で「さてと、今日もやりますかね」とやっています。
もっと上手くなりたい、くらいはいいですが「もっともっと、足りない足りない・・・」と強くがんじがらめになるようだと大変です。
精神を病んでしまうことでしょう。
なので中毒になったりせず自分の集中できる範囲で取り組んでいくのがよろしいかと思います。
軽やかに今日も最善を尽くしていきます。