日常生活におけるヴェーダ哲学の実践:食事、習慣…

これまでの旅路で、私たちはヴェーダの神々が躍動する神話の世界を巡り、ウパニシャッドの賢者たちと共に「私とは何か、この宇宙とは何か」という根源的な問いの深淵を覗き込み、そしてヨーガという実践的な道を通じて、身体と心を統合する術を学んできました。壮大な宇宙創造の物語、宇宙の根源であるブラフマンと個の根源であるアートマンが同一であるという「梵我一如」の思想、そして輪廻とカルマの法則。これらの深遠な叡智は、一見すると私たちの日常からかけ離れた、観念的な哲学の迷宮のように感じられるかもしれません。

しかし、ヴェーダの叡智の真髄は、その普遍性にこそあります。それは書庫に眠る古文書の知識ではなく、寺院やアシュラムといった特別な場所だけで実践されるものでもありません。むしろ、その光は、私たちが毎朝目を覚まし、食事を作り、言葉を交わし、眠りにつくという、ごくありふれた日常の営みの中にこそ、最も強く輝くのです。

古代の賢者たちは、人間の生そのものを一つの壮大な儀式(ヤグニャ)と捉えました。人生のあらゆる瞬間が、宇宙の秩序(リタ)と調和するための供物となりうるのです。この章では、これまで学んできたヴェーダの哲学を、具体的な「生活の技術」として私たちの日常に落とし込み、いかにして私たちの毎日を、より意識的で、豊かで、神聖なものへと変容させていくことができるのかを探求していきましょう。哲学を「知る」段階から「生きる」段階へ。あなたの日常こそが、究極の探求の舞台なのです。

 

身体という神殿:アートマンが宿る聖なる器

ヴェーダ哲学、特にその後のアーユルヴェーダ思想において、私たちの身体は単なる物質的な肉塊や、魂を運ぶための一時的な乗り物として軽視されることはありません。むしろ、それはアートマンという神聖な火が宿る「神殿」であり、宇宙の縮図(ミクロコスモス)として、極めて重要な意味を持つと考えられています。

この神殿をいかに清浄に保ち、その機能を整え、宇宙という大いなる存在(マクロコスモス)のリズムと調和させるか。それが、ヴェーダ哲学を生きる上での、最も基本的かつ重要な実践となります。私たちの身体は、感覚器官という窓を通して外界と繋がり、呼吸を通して生命エネルギー(プラーナ)を取り入れ、食事を通して大地からの恵みを受け取ります。この神殿の手入れを怠り、窓が曇り、エネルギーの流れが滞り、不純なものが溜まれば、内なる神性、すなわちアートマンの輝きもまた曇ってしまうのです。

したがって、これから述べる食事や日々の習慣は、単なる健康法や美容法ではありません。それは、自らの内なる神殿を敬い、清め、整えるための、日々の神聖な儀式に他ならないのです。

 

食事の実践(アーハーラ):何を、いかに食べるか

ウパニシャッドの一つである『チャンドーギャ・ウパニシャッド』には、「食物が清らかであれば、心も清らかになる」という趣旨の教えがあります。ヴェーダの思想において、食べ物(アーハーラ)は、私たちの肉体を構成する物質的要素であるだけでなく、心の状態や意識の質を直接的に形成する、極めて微細なエネルギーの源として捉えられています。

この思想を体系化したのが、後のサーンキヤ哲学やアーユルヴェーダで展開される「トリ・グナ理論」です。グナとは、自然界のあらゆる物質や現象に内在する三つの基本的な性質(質)を指します。

  • サットヴァ(Sattva):純粋性、調和、平静、光明、知性。心の明晰さや穏やかさ、幸福感をもたらす質。

  • ラジャス(Rajas):活動性、激情、欲望、動揺、苦。心を刺激し、興奮や動揺、執着を生み出す質。

  • タマス(Tamas):暗黒、鈍性、無気力、怠惰、無知。心を重くし、停滞や混乱、眠気を引き起こす質。

私たちの心は、常にこの三つのグナの影響下にあり、そのバランスは食べたものによって大きく左右されると考えられています。つまり、「You are what you eat.(あなたは、あなたが食べたものでできている)」という現代の言葉は、古代インドの賢者たちが直観していた真理そのものなのです。

 

サットヴァな食事を日常の中心に

ヴェーダ的な生活実践の基本は、サットヴァの性質を持つ食事を日常の中心に据えることです。サットヴァな食事は、心身に軽やかさと明晰さ、そして穏やかなエネルギーをもたらし、瞑想的な意識状態を育む土台となります。

  • 具体的な食材:新鮮な果物や野菜、全粒穀物(米、麦、オーツ麦など)、豆類、ナッツや種子類、ギー(精製バター)や新鮮な牛乳などの良質な乳製品。生命力に満ち、自然な甘みを持つものがサットヴァの性質を持つとされます。

  • 調理法と心構え:調理法もまた重要です。過度な加熱や油の使用を避け、食材本来の味や生命力を活かすように調理します。そして何よりも大切なのは、作り手の心構えです。愛情や感謝の念を込めて作られた食事は、それ自体がサットヴァのエネルギーを帯びるのです。

 

ラジャスとタマスを理解し、賢く付き合う

ラジャスやタマスの性質を持つ食べ物が、絶対的な「悪」というわけではありません。私たちの生活には、時に活動性や休息も必要ですから。しかし、それらが過剰になると、心のバランスは容易に崩れてしまいます。

  • ラジャスな食事:コーヒーや紅茶、唐辛子などの過度なスパイス、玉ねぎやニンニク、塩辛いもの、非常に酸っぱいものなどが含まれます。これらは感覚を鋭敏にし、行動への活力を与えますが、過剰摂取は心を落ち着きなくさせ、怒りや不安、欲望を増幅させます。競争の激しい現代社会では、知らず知らずのうちにラジャスな食事に偏りがちです。

  • タマスな食事:肉や魚、アルコール、古くなった食べ物、冷凍食品や加工食品、食べ過ぎなどがタマスの性質を持つとされます。これらは身体を重くし、心を鈍らせ、無気力や怠惰、ネガティブな思考を引き起こします。心の霧を晴らし、内なる光を見つめるためには、タマスな食事をできるだけ避けることが賢明です。

 

「食べる」という瞑想的行為

何を食べるかと同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのが、「いかに食べるか」という行為そのものです。食事の時間は、単なる栄養補給の時間ではなく、五感をフルに活用し、宇宙の恵みと繋がる瞑想的な時間となりえます。

  1. 準備と感謝:食事の前に静かに座り、目の前にある食べ物に意識を向けましょう。この食べ物がどこから来たのか、太陽の光、水、大地、そしてそれを作ってくれた人々の労力に思いを馳せ、感謝の祈りを捧げます。これは、自分という個の存在が、無数の繋がりの中で生かされていることを再認識する神聖な儀式です。

  2. 五感で味わう:食事中は、テレビを消し、スマートフォンを置き、会話も最小限にして、食べるという行為に全神経を集中させます。目で見て色や形を楽しみ、鼻で香りを嗅ぎ、舌でじっくりと味わい、歯ごたえや食感を楽しみ、咀嚼する音に耳を傾ける。このように五感を総動員して味わうことで、食べ物との一体感が生まれ、過食を防ぎ、満足感を高めることができます。

  3. 穏やかな心で:怒りや悲しみ、不安といった感情を抱えたまま食事をすると、消化が悪くなるだけでなく、そのネガティブなエネルギーが食べ物と共に身体に取り込まれてしまいます。できるだけ心を穏やかに整えてから、食事を始める習慣をつけましょう。

日常の食事をこのように意識的な実践へと変えることで、私たちは食べ物を通して自らの心と体を育み、宇宙との調和を取り戻していくことができるのです。

 

一日の習慣(ディナチャリヤ):宇宙のリズムと同期する

ヴェーダの思想は、人間を自然から切り離された存在とは見なしません。太陽が昇り沈むリズム、月の満ち欠け、季節の移ろいといった宇宙の大きなリズムがあり、私たちの身体の中にもそれに対応する生体リズムが存在します。この内外のリズムを同期させること、つまり「宇宙の時計に合わせる」ことが、心身の健康と調和(スワースティヤ)の鍵であると考えられています。

アーユルヴェーダでは、このための具体的な一日の過ごし方を「ディナチャリヤ(Dinacharya)」として体系化しました。これは、古代の賢者たちが遺してくれた、最高のセルフケアの実践です。

夜明け前の神聖な時間(ブラフマ・ムフールタ)

ディナチャリヤは、夜明けと共にではなく、それよりも早く始まります。日の出の約96分前から日の出までの時間を「ブラフマ・ムフールタ(Brahma Muhurta)」、すなわち「創造主ブラフマンの時間」と呼び、一日の中で最もサットヴァの質に満ちた神聖な時間帯とされています。

この時間に目覚めることは、ヴェーダ的な生活を送る上で非常に重要です。大気が清浄で、世界の活動がまだ静寂に包まれているこの時に、瞑想や内省、学習を行うことで、その効果は最大限に高まります。一日の始まりに、外界の喧騒に巻き込まれる前に、まず自らの内なる静けさと繋がるのです。これは、混迷の時代を生きる私たちにとって、心の羅針盤をセットするような、極めて重要な習慣と言えるでしょう。

浄化の儀式(シャウチャ)

目覚めた後は、一晩の間に身体に溜まった老廃物や不純物を排出する「浄化の儀式」を行います。

  • 排泄:まず、自然な便意と尿意に従い、体内の老廃物を排出します。これは身体の浄化の第一歩です。

  • 口腔ケア:歯を磨き、そして「舌磨き(ジフヴァ・ニルレカナ)」を行います。タングスクレーパーを使って舌苔を取り除くことで、味覚が鋭敏になり、口臭を防ぎ、消化器官の働きを活性化させます。

  • 鼻洗浄(ジャラ・ネーティ):人肌の塩水を使って鼻腔を洗浄します。これは、呼吸を深くし、アレルギーを緩和し、頭をすっきりとさせる効果があります。プラーナの通り道である鼻を清める、重要な実践です。

  • オイルうがい(ガンドゥーシャ):セサミオイルやココナッツオイルなどを口に含み、数分間クチュクチュと動かしてから吐き出します。口腔内の細菌を取り除き、歯や歯茎を健康に保つだけでなく、顎や顔の筋肉をリラックスさせる効果もあります。

これらの浄化法は、単なる衛生習慣以上の意味を持ちます。それは、身体という神殿を毎朝丁寧に掃除し、感覚器官という窓を磨き上げて、世界をよりクリアに知覚するための準備なのです。

身体への祈り(ヴィヤーヤーマ)と呼吸法(プラーナーヤーマ)

浄化の後は、身体を動かします。ヨガのアーサナ、特にスーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)は、一日の始まりに最適です。これは単なるストレッチやエクササイズではありません。太陽のエネルギーに感謝を捧げ、全身のエネルギーの流れを活性化させ、心と身体を目覚めさせる、動的な祈りです。

その後、数分間でもプラーナーヤーマ(呼吸法)を実践します。例えば、左右の鼻で交互に呼吸するナーディー・ショーダナ(片鼻呼吸法)は、自律神経のバランスを整え、心を穏やかに鎮める効果があります。呼吸という、生命の根源的な活動に意識を向けることで、私たちは思考の渦から解放され、「いま、ここ」に深く根付くことができます。

 

一日を生きる:ダルマの実践

朝の儀式で心身を整えた後は、それぞれの「ダルマ(天命、役割、義務)」を果たすために、日中の活動へと向かいます。学生であれば学び、親であれば子を育て、仕事を持つ人はその職務を全うする。ヴェーダ哲学では、このダルマを誠実に、結果への執着なく(ニシュカーマ・カルマ)行うこと自体が、重要な精神的実践であると説きます。

ラジャス的な活動が求められる日中であっても、朝に培ったサットヴァな意識を心の背景に保つことを心がけます。時折、自分の呼吸に意識を戻したり、短い瞑想を行ったりすることで、心の中心軸を保ち、外界の出来事に過剰に反応することなく、冷静かつ効果的にダルマを遂行することができるでしょう。

夜は、再び静寂の時間へと戻ります。軽い夕食を早めに済ませ、刺激的な活動は避けます。穏やかな音楽を聴いたり、哲学書を読んだり、家族と静かに語らったりして、心身を休息モードへと切り替えます。そして、一日を無事に終えられたことへの感謝と共に、眠りにつくのです。

このディナチャリヤを実践することは、さながらサーファーが波のリズムを読むように、宇宙の大きなリズムに自らを乗せていく試みです。そのリズムに乗ることができた時、私たちは最小限の努力で、最大限の生命エネルギーと心の平安を享受することができるのです。

 

言葉と沈黙の実践:内なる宇宙と外なる世界を繋ぐ

ヴェーダにおいて、言葉(ヴァーク)は、単なるコミュニケーションの道具ではありません。それは創造の力を秘めた神聖なエネルギーであり、マントラはその究極的な現れです。私たちが日常で発する言葉もまた、良くも悪くも、私たちの内なる世界を形作り、外なる現実を創造する力を持ちます。

  • 真実を語る(サティヤ):ヨーガの八支則のヤマ(禁戒)の第二に挙げられる「サティヤ」は、単に嘘をつかないこと以上の意味を持ちます。それは、自分の思考、言葉、行動を一致させる誠実さです。しかし、時に真実は人を傷つけます。したがって、サティヤは常に「アヒンサー(非暴力)」というフィルターを通して語られねばなりません。思いやりと慈愛に満ちた、調和を生み出す真実。それを語ることが、日常におけるサティヤの実践です。

  • 沈黙の力(マウナ):私たちはあまりにも多くの言葉を、無意識に、無駄に消費しています。ゴシップ、不平不満、無意味なおしゃべりは、貴重な生命エネルギー(プラーナ)を漏出させ、心を散漫にします。意識的に沈黙の時間を持つこと(マウナの実践)は、このエネルギーの浪費を防ぎ、内なる声に耳を傾けるためのスペースを生み出します。一日のうちの数時間、あるいは週に一日、沈黙を保つことを試してみてください。言葉を発しないことで、世界の解像度が上がり、他者の言葉をより深く聴くことができるようになることに驚くでしょう。

私たちの発する一言一句が、世界に投げかけられる種のようなものです。その種が、調和と愛の花を咲かせるのか、あるいは不和と苦しみの棘を生むのか。その選択は、常に私たち自身に委ねられているのです。

 

結び:日常という名の聖地

ヴェーダ哲学を生きることは、俗世を捨てて山に籠ることでも、難解な経典を暗記することでもありません。それは、私たちの日常という、あまりにも身近で、それゆえに見過ごされがちな領域を、意識の光で照らし出す試みです。

一杯のお茶を丁寧に淹れること。窓から差し込む朝の光に感謝すること。家族の言葉に深く耳を傾けること。自分の身体の声を聞き、必要な休息を与えること。これらの一つひとつのささやかな営みが、ヴェーダ哲学の実践の場となります。

食事、呼吸、睡眠、労働、会話。私たちの生活を構成するこれらの要素を、サットヴァの質へと高めようと意識し続けるとき、日常はもはや退屈な繰り返しの風景ではなく、自己を探求し、宇宙と繋がり、内なる神性を顕現させるための、生き生きとした「聖地」へと変容するのです。古代の叡智は、今この瞬間、あなたの呼吸の中に、あなたの手のひらの上に、生きています。さあ、その扉を開き、あなた自身の人生という壮大な儀式を、今日から始めていきましょう。

 

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。