ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが単なる平穏無事な時のための体操ではなく、人生の嵐が吹き荒れる時、すなわち「危機」の時にこそ真価を発揮する、実践的な智慧だからです。
私たちは誰しも、人生において予期せぬ危機に直面します。
突然の病気、失職、大切な人との別れ、あるいは社会全体を覆うパンデミックや経済的な不安。
「なぜ私がこんな目に」「どうして今なのか」
そう嘆きたくなるような状況に立たされた時、私たちの心は恐怖と不安で麻痺し、視界は真っ暗になります。
しかし、ヨガの深淵な教えは、こう囁きます。
「その危機は、壁ではない。扉である」と。
すべての危機は、私たちが世界を見る「視点(ダルシャナ)」を根底から覆し、より本質的な生き方へとシフトするための、魂からの招待状なのです。
今日は、現代社会が抱える問題にも触れながら、危機をチャンスへと変えるヨガ的な心の錬金術について、少し深く、静かにお話ししてみたいと思います。
もくじ.
現代社会の「脆弱さ」の正体
まず、なぜ私たちはこれほどまでに危機に対して脆いのでしょうか。
それは、私たちが築き上げてきた現代社会のシステムが、「変わらないこと(安定)」を前提に設計されているからです。
右肩上がりの経済成長、終身雇用、年金制度、あるいは「健康で長生きすること」が当たり前だという前提。
私たちは、未来が過去の延長線上にあると信じ込み、その予測可能な未来のために今を犠牲にして生きています。
「将来のために」貯金をし、「将来のために」我慢をし、「将来のために」保険に入る。
しかし、危機はその前提を容赦なく破壊します。
その時、私たちは愕然とします。「約束が違う」と。
今まで信じていた安定という土台が幻想(マーヤー)であったことを突きつけられるからです。
この時感じる強烈な不安の正体は、実は危機そのものへの恐怖というよりも、「予測可能な未来」という幻想が崩壊したことへのパニックなのです。
ヨガの視点:アニッチャ(無常)を受け入れる
ここで、ヨガの基本的な世界観が必要になります。
それは「アニッチャ(無常)」です。
この世のあらゆる現象は、常に移ろいゆくものであり、何一つとして留まることはない。
諸行無常の響きあり、と古人も言いましたが、変化こそが宇宙の唯一の不変の法則です。
ヨガの実践者は、マットの上でこの無常を体感します。
吸う息はやがて吐く息に変わり、力強いポーズもやがて解かれ、静寂へと戻る。
痛みも、快感も、思考も、感情も、すべては雲のように現れては消えていく。
危機とは、この「変化のサイクル」が少し急激に訪れた状態に過ぎません。
「変わってはいけない」「失ってはいけない」と変化に抵抗するから、苦しみ(ドゥッカ)が生まれます。
「変わるものだ」「失うこともある」と、変化の法則を受け入れた時、危機は恐怖の対象から、ただの「現象」へと変わります。
川の流れに逆らって泳ぐのをやめ、力を抜いて仰向けに浮かんでみる。
すると、その激流さえも、私たちを新しい場所へと運んでくれるエネルギーであることに気づくのです。
視点の転換(パラダイムシフト)
危機は、強制的な断捨離です。
今まで「絶対に必要だ」と握りしめていたものが、強制的に手放されることがあります。
仕事、肩書き、人間関係、お金、あるいは健康。
しかし、手放した瞬間にしか見えない景色があります。
「あれ? これがなくても、私は私として存在している」
「肩書きがなくなったけれど、逆に自由になれたかもしれない」
「病気になったけれど、そのおかげで家族との時間を大切にできるようになった」
これをヨガでは「プラティパクシャ・バーヴァナ(逆転の発想)」と言います。
ネガティブな思考にとらわれた時、意識的に反対側の側面を見ることです。
私たちは普段、自分の人生を「欠乏」の視点から見ています。
「あれが足りない」「もっと欲しい」「失いたくない」。
しかし、危機によって更地になった時、私たちは初めて「在るもの」の視点に立つことができます。
雨風をしのげる家があること。今日食べるものがあること。隣に誰かがいてくれること。そして、呼吸ができていること。
当たり前すぎて見えなくなっていた「奇跡」が、瓦礫の中で光り輝き始めます。
危機は、私たちの視力の焦点を、「ないもの」から「あるもの」へと、強制的に、しかし慈悲深く修正してくれるのです。
エゴの死と再生
スピリチュアルな観点から言えば、危機とは「エゴ(小さな自分)の死」のプロセスです。
エゴは、現状維持を望みます。コントロールできる安全な箱の中に留まりたがります。
しかし、魂は成長を望みます。箱を壊し、より広い世界へ飛び出したがります。
その摩擦が、人生におけるトラブルとして現れるのです。
危機に直面した時、私たちは「どうにかして前の状態に戻そう」と必死になります。
しかし、戻ることはできません。芋虫が蝶になったら、もうサナギには戻れないように。
危機は、あなたを新しいバージョンへとアップデートするための通過儀礼(イニシエーション)です。
「もうダメだ」と思った時、それは「今までのやり方」がダメになっただけであり、「あなたの人生」がダメになったわけではありません。
古い自分(エゴ)が死に、新しい自分(真我・アートマン)が目覚めようとしている陣痛の痛み。
そう捉え直すことができれば、苦しみの中にも希望の光が見えてくるはずです。
「すべては最善のために起きている」という究極の信頼(イーシュヴァラ・プラニダーナ)へと、身を委ねてみてください。
ピンチをチャンスに変える実践
では、具体的にどうすればいいのでしょうか。
渦中にいる時、ポジティブになれと言われても難しいものです。
まずは、ただ「座る」ことです。
何もしない時間を持つこと。
どうにかしようと焦って動き回る思考を、一度停止させること。
泥水が入ったコップをかき混ぜればかき混ぜるほど濁るように、混乱した心で動いても事態を悪化させるだけです。
静かに置いておけば、泥は自然と底に沈み、上澄みは透明になります。
そして、呼吸を感じてください。
どんなに外側が嵐でも、あなたの内側の呼吸は、常に「今、ここ」のリズムを刻んでいます。
その静かなリズムに同調した時、ふと直感が降りてきます。
「あ、こっちに行けばいいかもしれない」
「あの人に連絡してみようかな」
論理的な思考(マインド)ではなく、腹の底からの直感(ガットフィーリング)。
それが、危機を脱するための、あなただけの羅針盤です。
終わりに:あなたは守られている
最後に、これだけは伝えておきたいことがあります。
あなたは、決して一人ではありません。
目に見える人間関係だけでなく、大きな生命のネットワーク、大いなる存在に、常に支えられ、守られています。
危機的な状況は、その見えないサポートに気づくチャンスでもあります。
自分の力(自力)だけでどうにかしようとする傲慢さを手放し、他力(大きな流れ)に身を任せる謙虚さを学ぶ時です。
「助けて」と言っていいのです。弱さを見せてもいいのです。
その開かれた傷口から、光は入ってきます。
夜明け前が一番暗いと言います。
今が暗闇の中にいると感じるなら、それは夜明けが近い証拠です。
危機を嘆くのではなく、その闇の中でしか育たない根っこを、深く、深く伸ばしてください。
その根っこは、嵐が過ぎ去った後、あなたの人生をより太く、しなやかに支える土台となるはずです。
見方を変えれば、世界は変わります。
そのための眼鏡を磨く場所として、ヨガマットの上、そしてこの縁側は、いつでもあなたを待っています。
ではまた。


