静かな水面に小石をひとつ投げ込むと、波紋が同心円状にどこまでも広がっていく光景を思い浮かべてみてください。私たちのひとつひとつの行為も、あの小石と同じです。たとえそれが、誰にも気づかれないような些細な思考や言葉、行動であったとしても、それは見えない世界に確かな波紋を投げかけ、時空を超えて予期せぬ影響を及ぼしていきます。
この世界観は、仏教思想の根幹をなす「縁起(えんぎ)」という言葉に集約されます。縁起とは、「此(これ)があれば彼(かれ)があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」という、万物の相互依存関係を示す真理です。あなたという存在は、あなた単独で成り立っているのではありません。両親がいて、そのまた両親がいて、あなたが今朝食べたパンを作った人がいて、そのパンの小麦を育てた農家の人がいて、その小麦を育んだ太陽と水と大地がある。すべてが繋がり合い、影響を及ぼし合う巨大なネットワークの中に、私たちは存在しているのです。
この壮大な宇宙観を、華厳経では「帝網(たいもう)の譬え」として美しく描写しています。帝釈天(インドラ)の宮殿には、無数の宝珠で編まれた網が張り巡らされており、その一つ一つの宝珠が、他のすべての宝珠を映し出し、また他のすべての宝珠に映し出されている、というのです。一つの宝珠の輝きは、網全体を照らし、一つの宝珠の曇りは、網全体の光を翳(かげ)らせます。
この視点に立つ時、私たちの日常の行為は、全く新しい意味を帯びてきます。あなたがコンビニの店員さんに投げかける、心からの「ありがとう」という一言。その言葉が店員さんの心を温め、その日一日の仕事への向き合い方を変えるかもしれません。その良いエネルギーが、次に来る客や、家に帰ってからの家族との対話に伝播していく。逆に、あなたがSNSに投稿した、何気ない批判的なコメント。それが誰かの心を深く傷つけ、その人の自己肯定感を奪い、さらなる負の連鎖を生み出すかもしれないのです。
私たちの行為の波紋は、空間だけでなく、時間も超えて広がります。今日あなたが選択した食事が、数十年後のあなたの健康状態を左右する。今日あなたが始めた学びが、未来のあなたの人生を豊かにする。そして、今日あなたが環境のために起こした小さなアクションが、まだ見ぬ次世代の子供たちが生きる地球の姿に、微細ながらも確かな影響を与えるのです。
このカルマの法則、すなわち行為の波紋の法則を深く理解することは、私たちに行為に対する深い「責任(Response-ability、応答する能力)」を自覚させます。それは、罪悪感や義務感で自らを縛り付けることではありません。むしろ、自分には世界をより良い場所に変える力があるのだという、静かな自信と主体性を育むものです。
ヨガの教えである「アヒンサー(非暴力)」も、この文脈で捉え直すことができます。アヒンサーとは、単に他者を物理的に傷つけない、ということにとどまりません。自分の放つ思考、言葉、消費行動が、この相互依存の網のどこかで、誰かを、あるいは何かを傷つけていないだろうか、と想像力を働かせること。それこそが、現代におけるアヒンサーの深い実践です。
あなたが行うすべてのことは、重要です。あなたの沈黙さえもが、意味を持ち、波紋を広げます。だからこそ、一つ一つの選択を、呼吸をするように丁寧に、意識的に行うことが求められます。
あなたが世界に投げかける小石は、愛と慈悲の石ですか、それとも無関心と批判の石ですか。その選択は、常に、今この瞬間のあなたに委ねられています。そして、その波紋の先に広がる世界は、あなたの今日のその一投によって、確実に姿を変えていくのです。


