ヤマ(禁戒)の四番目の教え「ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)」は、しばしば「禁欲」と訳され、特に性的なエネルギーの制御を指すものとして、多くの現代人にとって最も誤解されやすく、実践が難しいと感じられる教えかもしれません。しかし、この言葉の本来の意味を紐解く時、私たちはそこに、現代生活を豊かに生きるための極めて実践的な「エネルギーマネジメント」の智慧を見出すことができます。
「ブラフマチャリヤ」という言葉は、「ブラフマン(Brahman)」と「チャリヤ(Charya)」という二つの語から成り立っています。「ブラフマン」とは、ウパニシャッド哲学における宇宙の根本原理、至高の実在を意味します。「チャリヤ」は「歩むこと」「実践すること」を意味します。したがって、ブラフマチャリヤの本来の意味は、「ブラフマンに意識を向けて生きること」「神聖な道を歩むこと」となるのです。
古代インドの人生区分(アーシュラマ)では、学生期にある若者はブラフマチャリヤを実践し、学問の探求にエネルギーを集中させることが求められました。この文脈から、性的な快楽にエネルギーを浪費せず、より高次の目的のためにそれを保存し、昇華させる、という意味合いが強くなりました。
性エネルギーは、新たな生命を創造しうる、私たちの持つ最も根源的でパワフルなエネルギーです。ヨガやタントラの伝統では、このエネルギー(クンダリニー・シャクティとして象徴される)を単に抑圧するのではなく、その価値を理解し、意識的にその流れを導くことを目指します。無分別にそれを浪費すれば、私たちの生命力(オージャス)は消耗し、心身は活力を失います。しかし、そのエネルギーを保持し、創造的な活動や霊的な探求、あるいは他者への奉仕といった目的に向ける時、それは計り知れない力を発揮するのです。
そして、ブラフマチャリヤが説くエネルギーの管理は、性的な領域だけに留まるものではありません。私たちの生命エネルギー(プラーナ)は、日々、あらゆる感覚的な活動を通じて漏れ出ていきます。
際限なくSNSのフィードをスクロールし続けること。ゴシップや無益なおしゃべりに時間を費やすこと。暴飲暴食にふけること。衝動的な買い物で刹那的な満足を求めること。これらすべてが、私たちの貴重なエネルギーを散逸させる行為です。それはまるで、バケツの底に無数の小さな穴が空いていて、せっかく汲んだ水が絶えず漏れ出しているような状態です。
ブラフマチャリヤの実践とは、まずこの「エネルギーの漏れ」に気づき、その穴を一つひとつ塞いでいく作業です。自分が何に時間と情熱を注いでいるのかを客観的に観察し、本当に自分の人生を豊かにするものと、そうでないものとを識別するのです。そして、浪費をやめ、そのエネルギーを自分の真の目的に向かって意識的に「投資」するのです。
引き寄せの法則は、エネルギーの法則に他なりません。あなたの意図を実現するためには、そこに集中した強力なエネルギーを注ぎ込む必要があります。エネルギーが四方八方に分散していては、どんなに強く願っても、現実を動かす力は生まれません。ブラフマチャリヤは、あなたのエネルギーを一本の強力なレーザー光線のように集束させ、あなたの意図という的を正確に射抜くための、究極のテクニックなのです。
それは、人生のすべてを我慢する苦行ではありません。むしろ、些末な快楽と、真の喜びとを峻別する知恵です。あなたの神聖な生命エネルギーを、何のために使いますか?その問いに真摯に向き合う時、あなたの人生は、より深く、意味のある方向へと舵を切っていくでしょう。


