この世の中で起こっていることで、止まっていることは何ひとつありません。
すべては動的であり、絶え間なく動き続けています。
どんなに止まっているように見えてもそれは”動き”の中にあります。
わたし達も例外ではありません。
わたし達は常に動いており、大きな流れの中に身を寄せており、瞬間たりとも止まることはないのです。
時間は過去未来には流れていない
時間というのは過去から未来へ流れていません。
過去に起こったことが今起こっていく訳ではありませんよね。
過去に起こったことが現在起こり、それが未来起こるならば、時間は過去から現在、そして未来に流れていることになります。
未来に存在する「起こるべき何か」が今へと近づいてきて、それが今起こっているのです。
だから、時間は未来から過去へと流れています。
この話しは「時間がある」という前提に立っていますので、もし時間というものがなければ、この話しは意味がありません。
私たちの世界は、今起こっていることがすべて
いまここ、という言葉を聞いたことがある人が多いでしょう。
「今にあること」「今がすべて」「今にしかいれない」様々な言葉で、いまここが語れてきました。
いまここと言ったときの、”いま”とは時間のことではありません。
いまここと言ったときの、”ここ”とは場所のことではありません。
”いま”というのは絶対的な”いま”でありますので、その比べる対象がいないのです。比較対象がいないのです。
だから、”いまここ”においては、過去とか未来というものを持ち出すことができません。
過去や未来と比べた”いま”ではなくて、絶対的に”いま”しかないのです。
”ここ”についても一緒です。
”ここ”にしか、人はいることができないのです。
「ちょっと、東京に置いてきてしまったのだよね、自分を」というようなことを言うケースはないでしょう。
自分は、置いてこれないのです。”ここ”にしか自分はいませんから
”いま”にフォーカスしよう
”いま”にあることにフォーカスしていきましょう。
”いま”にしかいられないので、フォーカスのしようはありませんが、これが困ったもので、フォーカスしようと思わないと何も起きないのです。
ですが、さらに困ったことにフォーカスすると”いま”から離れてしまいます。
フォーカスするマインドが現れます。マインドは過去と未来を行ったり来たりして今を捉えることができません。
ではどうするか、それが瞑想体験につながるのです。
瞑想体験は”いまここ”にくつろぐことです。
瞑想状態がそのまま”いまここ”を体験していることになります。
瞑想は意識的にやれることではなく、”いまここ”という状態にくつろいだ時に自然と起こる現象なのです。
集中は人間的です。人間のマインドで行うことができます。
瞑想は集中ではありません。瞑想は人間のマインドで行うことができません。
瞑想はただ起こることです。起こるに任せるのです。
起こるに任せるのが瞑想です。
すべてを放下してサレンダーしてしまう状態、これが瞑想なのです。
終わりに:サレンダーは自然に起こる
サレンダーを意識的にすることはできないので、サレンダーです。
もう「得ること」での幸せいの追求をやめましょう。
それが腑に落ちると一つのサレンダーになります。
どうせ、ひとついのちです。
みんながいのちです。
自然に生きていきましょう。