全米ヨガアライアンスの取得に関して聞かれることが多々あります。
全米ヨガアライアンスを取得するかどうかは、ヨガとの関わりの問題だと思っています。
当然ですが、ヨギーとして日々を過ごし、ヨギーとして独立されてヨガを実践されている人が全米ヨガアライアンスを持とうと思うわけがありません。
そんなものに興味を持っている時点でヨギーではないのは誰もがわかります。
禅宗のお坊さんが、ZENマスター養成講座みたいなのに行かないということです。
では、全米ヨガアライアンスとは何か。
設立当初のいろんな思いはあるのかもしれませんが、2018年4月時点の日本においてはほぼ100%ビジネスです。
ヨガを実践されて、ヨガを学ばれている方からすると、日本でヨギーなんてほぼいないと言われるのではないでしょうか。
ヨギーなんていない中、ヨガを教えている人はたくさん排出されている。
全米ヨガアライアンスを取得して教えることができると思っている、これってすごいビジネスがうまいと思うのです。
「MBAをとれば経営者になれますか?」「大学院の起業コースを出れば起業できますか?」とか聞いている人いたら、やめておきなさい、と諭されて終わりですよね。
そういう心持ちでいくところではないからです。
結論を書いておきますと「全米ヨガアライアンスを取得するかどうかが問題ではなく、自分がどのようなヨギーを目指し、ヨガと関わっていくかを考えることが大事」ということになります。
もくじ.
Kiyoshiだって全米ヨガアライアンス持っているじゃねぇか
持っていますが、悪いものかと聞かれるとヨガスタジオによりけりではないかと思います。
本を読めば一瞬でわかることをクドクドやったりもしますので。
解剖学もすぐにわかることを、長い時間かけて教えていたりします。
インストラクションもこういう風にいうと人は動く、生徒は関心する、生徒は心を開く、生徒はまた来てくれる、みたいなことも教えてきます。
ヨガインストラクターで自分でやっていくには、集客やマーケティング、お金を稼ぐことは必要です。
お金を稼ぐためには一定のビジネスの仕組みも知らないといけません。
全米ヨガアライアンスを取得してその先に働ける場所もある、という触れ込み自体がマーケティングであり、そこに興味を持ってしまった自分のビジネスセンスを知ることからスタートです。
やれやれですよね。
学びは絶対に必要
基本に戻りますね。
ヨガを教えるにあたり、学ぶことは必要です。
当然ですね。
何も学ばないで何を伝えるんだということです。
ではどうやって学ぶのか、何を学ぶのか、その先にどうしていきたいのか、ここがポイントになります。
これも当然考えるべき課題ですね。
学び方は山ほどありますし、何を学ぶのかもヨガの世界は広いので優先順位や深さも決める必要があります。
呼吸法だけでも本気でマスターすれば、呼吸法だけの学びで一生が終わります。
終わりますというか、勉強し続けていくことができるぐらいに深いわけです。
これはこれで楽しそうですね。
瞑想もそうですよね。
「瞑想を10年やってマスターしました」と言われても「ああ、そうですか。頑張りましたね。」で終わりです。
仕事を10年やってた友人が「俺は全部わかった」とか言い出したら、冗談だと思って話を聞きますよね。そんな感じです。
瞑想にだって一生では辿り着けないような世界がありますよね。
呼吸法、瞑想、ヨガ哲学、アサナ、何をどのくらい学んでいくのか人それぞれです。
何をどこまで学びたいのか。
そこから学び方も出てくると思います。
自分流の道がある
学び方や関わり方というのは、自分流の道があるのです。
行き着く先は、あなたの道の先にあるものです。
本質的に考えると全米ヨガアライアンスを受けるかどうかは問題ではありません。
あなたはどんな風にヨガと関わりたいですか。
ヨガを教えているのでしたら、資格取得することが目的ではないのは明らかです。
どんなことをどんな風に教えるようなヨガインストラクターになりたいですか。
資格に頼るヨガインストラクターになりたいですか。
それとも、資格に頼らない自分の思うヨギーを体現していくことでヨガを教えていきますか。
それには学びが圧倒的に必要です。
間違いありません。
そして、その学びはヨガの場合はどんな学び方になるのでしょうか。
そこに思いを馳せてほしいのです。
全米ヨガアライアンスができた理由に思いを馳せる
東洋思想には道がありますが、資格はありません。
グルが弟子に許可することはあっても、資格を与えるようなことはありません。
なので伝えられていることがわかりにくかったりもしますし、何も掴むことなく終わってしまう人もいたことでしょう。
弟子とグルとの関係性で学ぶというのは大変なことです。
そこで資格商売の登場です。
わかりやすくテキストや内容を作ることで、誰もが一定の基準を満たすようにするということです。
本来の資格というのは、全員が受からずに、何%かは落ちます。
当然ですね。
能力や知識がある一定水準に至ってなければ落ちます。
でも全米ヨガアライアンスは最低限の出席をすればとれます。(そうではないスタジオもありますが、少ないと感じます)
商売ですからね、間口は広く、そして誰もにも旨味があるようにするわけです。
友人のピラティスの先生が「ヨガインストラクターは何も解剖学をわかっていない」と言ってました。
当然です、全米ヨガアライアンスでも解剖学なんて本当にちょっとしかやりません。
やってないものなのでわかっておりません。
解剖学のことを知っているヨガインストラクターは個人で勉強されているのですよね。
知り合いの整体師さんから「ヨガインストラクターは身体の健康のことをわからずに、ポーズをやらせすぎる」と注意を受けました。
ここも全米ヨガアライアンスのせいではなく「ヨガが健康にいい」というのと「ヨガが健康のため作られている」というのが混同しております。
ヨガって修行ですよ。
全部が全部、健康にいいわけないじゃないですか。
こんな当たり前のこともわからなくなっているというのも不思議です。
健康が目的なら、健康に良い範囲で楽しめばいいのです。
スポーツだってそうです。
健康のためにスポーツは役立つけど、健康を目的にスポーツが作られておりません。
メディアの誘導もあるのかもしれませんね。
「フルマラソンを走るのは身体に悪いだろ」ということを言われたことがありましたが、これも一緒。
普通に会話はしましたが、健康のためにしか運動はしないということにその人のなかではなっているようです。
何を目的にするのか、そのものの成り立ちは何かで変わってくると感じます。
ラグビーやサッカーなどは、戦術・戦略などの勉強のためにもやると聞きます。
全米ヨガアライアンスは何のためのものなのでしょうかね。
もう少し全米ヨガアライアンスについて思いを馳せる
学びというのはどういったことでしょうか。
学びというのは、これから学ぶことをクリアカットにわかっていたり、価値を羅列することができないことに対して起こるものです。
資格取得の全部ではないのはもちろんですが、学びがこの逆のスタイルになっていることも多くあると感じます。
仕組みの中に自分を組み込み、己で学ぶのではなく周りから与えられることだけで決められたことを学び、最低限の点数を取得するように学ぶという選択なわけです。
これはもう商取引ですよね。
学びが商取引になっているわけです。
その商取引の枠組みに自分を入れ込むということは、ヨガを商取引にするということです。
学びって商取引なんですかね、茶道や華道や書道みたいな道って商取引なんですかね。
違いますよね。
現実的にはお金のやりとりが発生するのは仕方ありませんが、すべてがビジネスライクな関係ではないですよね。
だから、先生はえらいわけなんですけど。
参考記事:「先生はえらい」って知ってましたか?
構造の話なのですね。
資格が悪いわけではなく、自分で考えられずにいることがまずいのです。
手取り足取り教えてもらい、自分の納得したものが用意されないと文句言うのがまずいのです。
焼き魚定食を頼んでコロッケ蕎麦が出て来たら、そりゃ違いますよと言います。
でも学びでこれを求めてしまう。
学びってこういう風にはなっておりません。
自分が焼き魚定食を頼んだと思ったけど、まったく異なるものを食べることになる、それが学びです。
そして、その後に「やっぱりこれを食べたかったのだ」とわかるのが学びです。
全米ヨガアライアンスを受けたことによる学びは何か。
「自分で勉強しないと意味がなく、実は資格をとることで教えられるようになるということをエサに引っかかってしまったのだ。やり直すぞ。」という学びです。
私もその罠に陥りましたよ。
違うことを感じる人もたくさんいることでしょう。
出会いが良かったという人もいます。(出会いのために資格取得に行ったのなら、良かったと思いますけどね)
でも、そこからスタートです。
実際のところ、本当に色々と考えさせられます。
終わりに:ツールとして使うなら目的を明確にしよう
全米ヨガアライアンスをツールとして使いたい人もいることでしょう。
ツールとして使うのなら目的があるわけです。
目的は何でしょうか。
- ヨガを薄く学びたいのか
- 履歴書に書きたいのか
- よくわからないけど資格をもっていれば安心なのか
- 大好きな先生のもとで学びたいのか
- 友達に誘われたから行くのか
- 一人で学ぶのが苦手なのか
色々とありますよね。
基本的にはヨガを学びたいのだと思います。
この目的を果たすにはどうすればいいのか。
これがヨガの業界だと全米ヨガアライアンスを取得するという流れしかないことになっています。
他にも学び方は山ほどあります。
そもそも「全米 ヨガ」という響にも違和感を感じますけど。
”全米禅指導者育成コース”が全米発となっていても資格取得に精を出す人はいないと思うのに似ています。
まぁ、今ではボーダレスになってきたので国という縛りは考えずに思考はした方がいいとは思いますので、ひとつの比喩として表現しました。
自分の可能性を活かす形で、好きな学び方でヨガと関わって頂けると嬉しく思います。