ヨガとは静かなもの、内省的なもの。
確かにそうです。私たちは普段、マットの上で静寂を求め、内なる声に耳を澄ませます。
しかし、ヨガの神様であるシヴァ神が「ナタラージャ(踊る神)」としての姿を持つように、ヨガには動的な祝祭、圧倒的な歓喜(アーナンダ)という側面もまた存在します。
静けさの中に身を置くことと同じくらい、時にはそのエネルギーを外へと解き放つこともまた、バランスのとれたヨガの実践と言えるのではないでしょうか。
かれこれ、この『アサナジャム(Asana Jam)』なるものが日本に紹介されてから、三年以上の月日が流れました。(私が紹介したわけではありませんからね)
おかげさまで、今や “知る人ぞ知る” イェイイェイな催しとして、熱気あふれる場となりましたが、正直に告白しますと、始めた当初はそれはもうビミョ〜な空気溢れる(笑)、ある種悲惨なものでした。
日本人の奥ゆかしさと言いましょうか、「私が、私が」と出ることを由としない美徳が、ここでは裏目に出てしまったわけです。
シーンとした静寂の中で、お互いに顔を見合わせる気まずい時間。
しかし、その「壁」を壊すことこそが、このジャムの醍醐味でもあります。
内容を改めておさらいしておきましょう。
クラブのようにノリのいいノンストップの音楽をかけながら、参加者全員で大きな輪になります。
そして輪の中心には3枚のマット。
ルールはシンプルです。中心にあるマットに誰もいない瞬間があってはいけません。
カラオケのマイクを奪い合うように、とは言いませんが、その場にいるひとりひとりが、流派を問わず、アサナの難易度を問わず、自分の好きな5分前後のヨガを披露するのです。
フローで流れるように動いてもいいし、ひとつのポーズをじっくりと深めて見せてもいい。
そこに「正解」や「間違い」はありません。
「ベジ朋」のルーツ、NYダーマヨガセンターでは『Maha Sadhana(マハ・サダナ)』なる名称で、これが月イチの超超超人気イベントとして開催されています。
様々なルーツをもつ100人超のヨギたちが毎度詰めかけ、ポーズを見せ、讃え合い、叫び、笑う。
それはまさに、生命そのものが躍動するような賑やかな時間です。
「恥ずかしい」
「まだ人に見せるレベルじゃない」
「私なんかが前に出ていいのだろうか」
そう思うでしょう? その気持ち、痛いほどわかります。
私たちは常に「他者からどう見られるか」という評価の視線に晒されて生きていますから。
エゴは常に囁きます。「失敗したらどうしよう」「笑われたらどうしよう」と。
ですが、騙されたと思って一回参加してみてください。
その「恥ずかしさ」という殻を破った向こう側に、驚くほどの自由が待っています。
世の中の多くのものがそうであるように、本当のことってやってみなければ分かりません。
頭で理解するのではなく、身体で理解するということ。
あの楽しさと一体感は、理屈を超えて、誰もがクセになります。
そう、ヨガも人に見せたっていいし、盛り上がったっていいんです!たぶん(笑)
自分を表現すること、他者を称賛すること。それは「エゴの誇示」ではなく、互いの生命への「祝福」なのですから。
このワークショップは、心身を整え、そして解放へと向かう二部構成になっています。
<第一部:静寂と熱>
まずは70分程度の、丸々アサナクラスを行います。
ただしここは普段のレギュラークラスとは少し趣が異なります。後のジャムに向けて、身体という楽器をしっかりとチューニングする必要があります。
太陽礼拝やストレッチ感のあるフローを厚めにして、しっかりと身体を温め(Agni)、関節をほぐしていきます。
そしてその後、20分の自習時間を設けます。
各自、この後のアサナジャムに向けたウォーミングアップや、自分が披露したいポーズの最終調整をしてください。
静かに集中を高めるこの時間が、後の爆発力を生み出します。
そして10分程度、休憩を挟みます。
<第二部:歓喜と解放>
いよいよ、アサナジャムの幕開けです。
場の空気を浄化し、心を一つにするために、マントラを皆でいくつか唱えます。
その響きが空間に満ちた時、満を持してスタート!!
ジャムは60分を予定していますが、心配ご無用です。
あなたが輪の中心に出てアサナを披露している時間より、手拍子しながら輪の仲間を盛り上げ、讃える時間の方が圧倒的に長いのです。
実際アサナを取っている時間はそれほど長くなく、見学メインでも十分にその場の一体感を味わえます。
他者の美しい動きを見て感動すること、誰かのチャレンジを応援すること。それは、自分自身が行うことと同じくらいのエネルギー交換(プラーナの交流)を生みます。
ジャムのあとは締めとして、30分程度、再び皆でキルタン(唄うヨガ)を行います。
高揚したエネルギーを、神聖な響きへと昇華させ、恍惚感に包まれながら終演となります。
どうですか? 正直イマイチよくわからないでしょう(笑)。
ええ、自覚あります。
文字にすればするほど、その熱量はこぼれ落ちてしまうものなのです。
でも「こういうことか!」という腑に落ちる感覚は、その場にいた人たちだけでしか共有できないものです。
身体知としての理解。
しかも「わかる」のは内容のみに非ず!
出た者だけが言葉を超えて理解できるのは、この宴の空気感や世界観、そして理屈抜きの感動そのものなのです。
頭で考えるのをやめて、ただ音と呼吸と仲間の輪の中に飛び込んでみる。
その時、あなたは「ヨガをする人」から「ヨガそのもの」になるのかもしれません。
マットの上でお待ちしています。


